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自由ですよ

シュタイナーの「死後の生活」(イザラ書房・横尾忠則の装丁)をのぞいていたら、科学の役割について、収穫された小麦の喩えが語られていて、なるほど、シュタイナー、良いことを言うと思った。というより、シュタイナーによって、私が科学に関わる根本的な衝動が正当化されている気持ちがした。つまり、小麦は収穫され、その九割が食用に供せられたとしても、一割は残されて、次の年の生産のために大地に蒔かれる。同じように、科学の成果の九割が人間の生活に役立たされたとしても、残りの一割は、それが次の世代の世界観を形成するための養分として人間の魂の中に蒔かれるのであると。ここでシュタイナーは、自分たちの精神運動の目指すものが、(科学革命による)世界観のコペルニクス的転換と同様の規模のものであることを再認識させる。そして、十九世紀になってもなおコペルニクスの著作が教会の禁書目録に入っていたことを指摘して、世界観の転換には時間がかかることの自覚を促している。ここで、評論家でも、学者でもない、「世界の改革」を自覚した実践者としての、スケールの大きな、良い意味で西欧的な妥協の無い強靱な精神性を感じてしまう。

科学的な世界観を獲得したことで、わずか数百年で人類の世界認識・宇宙認識のスコープは指数関数的に増大し、二十世紀末には、それが一原子を実空間で認識するスケールと、天文学的なスケールの双方に拡大して、世界認識の技術的爆走が始まった。今はジェットコースターに乗っているような気分がする。

科学的精神の本質は自由にあり、その自由というものも、実は、世界の美的構造への揺るぎない信頼を前提にしている。それは科学・数学の研究が進めば進むほど、ますます確かなものになって行く。一般の人の目にはつかない可能性が大きいが、科学者たちは今、とてつもない技術的な自由を謳歌している。それは個々の経験を超えて、人類の経験として、かつて無い何かを共有させているはずだと思う。科学革命が生じなければならなかった理由は、おそらく、人間の徹底的な思考の自律と自由の経験が人類の霊的な深化にとって必要だったからだろうと思う。その先の「世界の改革」のイメージを思い描くことは楽しい。

少し気になる、一部の人が持っているらしい、シュタイナーが何か排他的なサークルの人であるという決めつけが、どこから出てくるのかよく分からない。誤読だと思う。シュタイナーはその著作が駅のキオスクで売られるようになれば良いと言っていたそうだ。仮に現在の人智学に関わる誰かが排他的だったとしても(私は知らないけれど)それはシュタイナー自身の思想とは関わりがない。ただ、それだけ、気になる思想家ではあるのだろう。現在は小さな思想家の時代なので。シュタイナーの全集は全巻で500巻くらいはあるらしいので、日本で翻訳が読めるのはその一部に過ぎない。知られざるシュタイナーというものもあるかも知れない。大学で学んで、その後完璧に使わなくなったドイツ語を勉強し直して、それらを読むということが、将来できるかどうか。大いに自信なし。

今週は土曜に打ち合わせの仕事が入り、久しぶりに東京に出たが、帰りに、途中まで一緒だったT氏の研究の話が面白く、お茶の水で買う予定だったゾンダのリードの件を完璧に忘却、買いそこねた。かわりに、谷中コーヒーで豆を買って帰り、それを飲みながら一週間ぶりにブログを書く。
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  1. 2008/03/02(日) 12:55:43|
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