生活と研究で、ブログを書けるのも週末だけになる。しかし、その週末も、三日あったらと思う。尊敬すべきクーパー捜査官も、ツインピークスの一件では、天井から降り注ぐ雨のなかでX氏を看取った後(半分ネタバレ?)、久しぶりに休暇を取ろうかという設定だった。日本の労働者は、なかなかそうも行かない。休暇を取る同僚というのは、奥さんに稼ぎがある人とか、特殊な例になる。
今朝方は。部屋の中に押し入ってくる青白い背の高い男と存在感のない女という、ツインピークスっぽい夢を見た。インターネットで記事を読んでいるのは、自分としては、一番間抜けなサボりの時間だが、いわば(人々の)心の延長としてのインターネット空間というものが広がっているとして、その中に入ったり、関わったりすることが、最近少し怖くなってきて、そういう心理を反映した夢かも知れない。
ゾシマ長老はアリョーシャに、人に対するに子供や病人に対するように愛情を持って、丁寧に慎重に対さなければならないと教える(カラマーゾフの兄弟)。こういうことは、年を取ってくると、何となく身につけてしまうことかも知れないが、明快に言語化しておくことは大事だ。何もそれは、聖職者の心得というものでは無くて、大人として心得ておくべきことなのだと思う。特に今のような、霊的な嵐のような時代にあっては。
ブログを書くだけで、心の延長としてのネット空間に深い関わりが出来る。それが期せずして誰かのプライドを傷つけたりすることになるとしたら心外だ。日記という、個人的なもの、いわば心の延長が、書けば即公共の空間に出現するのは前代未聞の出来事で、その影響力は不可測だが、心の世界のつながりという意味では、それがポジティブにもネガティブにも作用しうることは意識しておこう。やはりそれも「厳粛な綱渡り」なのだ。
こんなブログを見に来てくれる人がいること自体が不思議であるが、もちろん、このブログで私は、絶えずふざけている。ウイトゲンシュタイン宗教哲学日記(講談社)によると、ウイトゲンシュタインは、「私にはふざけると言うことが無い」そうだが、私は逆で、常にふざけたい方だ。誰かに深刻になられると困ってしまう。実家に帰ったある日、気がつくと、「人生は、いつも明るく、楽しく、希望を持っていこう」と筆で書いたものが部屋に飾ってあった。亡くなった父が残したものだった。まさしく、その通り、それ以外にない。この世に生をうけたこと、生きていること自体に感謝して、楽しく生きて行かなきゃ「お天道様に申し訳ない」。
そういうことで、スーパーで買った八海山の酒粕というもので、甘酒を造って飲む。ショウガを少し摺って加える。本当においしい。次は、出来れば酒造所に行って、新鮮な酒粕を買ってこようと思う。
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