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未知のよろこびに出会うこと

ようやく、生活が規則正しくなりつつある。サックスの練習も再開。今は、音階練習の面白さにはまっている。メロディーを吹かなくても、音階を滑らかに、素早く、色々な調子で吹いていると、今まで知らなかったよろこびが沸いてくるのだった。

昨日は、アドリブでも、冒険が成功し、背筋がゾクゾクする数秒が味わえた。しかし、それを再現できないのが今の実力(微力)。そういう発見を再現できる力を身に付けるのだ。練習と学習で。きっとできるよ(ここも女子高生風に)。

水泳も再開。明日はようやく、採点作業から開放される予定。ああ、自由が欲しい。自由に勉強し、研究できる時間ほど、貴重なものはない(ホントに)。採点も集中してやれば良いのだが、つまらないので、つい、古本マニアのブログ(ナンダロウアヤシゲの日記)を読みふけったりしてしまう。出てくる地名(いわゆる谷根千、日暮里、千住とかの東京の下町)に親しみを感じてしまうこともある。アヤシゲ氏のように、自転車であの辺りを走り回って、安い飲み屋で千円以内ででき上がってしまうような生活にあこがれたり。

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  1. 2007/08/28(火) 23:31:49|
  2. サキソフォン|
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夏休みメニュー終了 パルマ展と花火

「パルマ―イタリア美術、もう一つの都」展、今度は下の子供も連れて行く。下の子が本物のイタリア・ルネッサンス時代の絵を見るのは初めてだろう。私は美の教育力・治癒力を信じるおやじなのだ。今回は国立西洋美術館の常設展も駆け足で観た。藤田嗣治を発見、すごく良かった。実物を見るのは初めてだと思う。西洋美術史の流れの中で見ると、その斬新さが強く感じられた。帰りに湯島のデリーでカレーを食べた。三人とも別メニュー。私の選んだのが一番おいしかったようなのだが、その名前が想い出せない。今思い出した! コルマカレーです。ともかく、べらぼうにうまかった。メニューには、「独特のクセがまた食べたくなる秘密」と書いてあった。確かに、また食べに行かざるを得まい、と思うよ。

昨日は、町の花火大会。日の高いうちから場所取りをしたりして、大変だった。帰宅したら11時。 

今日もBS2アンコールアワーを見ながらこのブログを書いている。日が陰って涼しく、良い日曜。今日の番組は、「世界里山紀行・フィンランド森と妖精」。草野心平が、宮沢賢治は(前世は)グリーンランド辺りで生まれたのではないか、というようなことをどこかで書いていたような気がする(うろ覚え)。そうではなくて、グリーンランド辺りで生まれるべきだったと書いていたのか、ともかく、ヨーロッパでも北の方の森の人々の異教的(キリスト教以前の)な感性は、賢治の世界に限りなく近いと思った。樹木や熊に対して、岩手の賢治の童話に出てくるような感じ方をしている(今も!)人たちの実在を知り、涼しく興奮。

ちなみに、畏怖すべき、かつての暗いヨーロッパの巨大な森林は、キリスト教・教会による正当化(力づけ)無しには、切り開かれることは無かったらしい。民衆が神々や妖精の支配する世界に手を入れることは、恐ろしくて出来なかったというわけだ。科学とキリスト教の関係も、そういう関連から考えることも出来る。キリスト教の支配するヨーロッパから科学が生まれたことも、何となくうなずける部分がある。この辺は、研究書がたくさん出ているでしょうが、シュタイナーも、科学の背後にはキリスト衝動があると言っている。それはきっと、positive ・negative両方の意味で、必要だったのかも知れない。

(思い出したこと)
草野心平が書いていたのは、確か、賢治は、たとえグリーンランド辺りで生まれていたとしても、全く同じような世界を創造していただろう、と言うことだったと思う。これは、筑摩書房から出た草野心平編集の宮沢賢治全集の月報で読んだことだと思う。正確なところは調べればわかると思う。


  1. 2007/08/26(日) 11:59:50|
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クレド

(1)生活をバカにしないこと。生活のための行為を何よりも大事に思うこと。つまり、生きることの細部を疎かにしないこと。
(2)学問も芸術も、生活の上に成り立っていることを忘れないこと。
(3)その上で、学問と芸術のために努力を惜しまないこと。

こんなことを書いてみたのは、最近、雑用ばかりで、本質的なことが全く出来ていないためである。仕事の方は、予算取りの書類造りとか、学校関係とか、研究に頭を使うことが殆ど無いのが、頭痛の種だ。生活臭の強い色々なものに圧倒されていて、勉強をする時間(気力)も作れない。本も読んでいない。しかし、クレド(なんて大げさですが)(1)番に書いてみたように、社会・家庭・組織の中で生きている自分の義務を遂行するのは、自己中心的な私にとっては他者へのサービスでもあり、大事なことであって、ともすればそう言うことを内心バカにしてしまう自分を戒めてみた。「このままではダメになってしまう感」との闘い。


  1. 2007/08/25(土) 11:39:55|
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京劇・孫悟空 and "The Departed"

未だ、大掃除・大整理は終わらず。そして、試験の採点も終わっていない。問題を丁寧に作りすぎた。いつになっても採点作業が終わらない。次回は、採点をひとに依頼できるように、選択式の問題にしようと思う。

昨夜は、DVDで"The Departed”を観た後で、BS2で京劇・孫悟空をやっていて、ついついそちらも観てしまい、寝るのが2時になってしまった。前者のオリジナルの香港映画「インファナル・アフェアー」も以前観ている。スコセッシは「the aviator」が良かったので、観ざるを得まいと言う気持ちで見始めた。アメリカのマフィアより、香港のマフィアの方が怖い。なぜだろう。

愚考するに、今のハリウッド映画は、何をやっても「ハリウッド映画」と言う強固な枠組み・制度から逃れられないというトラップにはまってしまうのでしょう。観ていても「もうこういうのはいいや」感が強まる。なんて言うか、すべてが技巧・技術であり、ビジネスなのだというメタな認識が強くて鑑賞にのめり込めない。情報が多すぎるせいなのか。既視感が強すぎて、まあ、こんなものか。しかし、正直もう飽きた。「その手には乗らんよ」

京劇は面白かったが、眠すぎて、最後まで見られず。猿や妖怪の集団的な身体の動きに引き込まれるし、衝撃音(銅鑼、鉦など?)の連続もいやが上にも昂揚感をあおり立てるし、歌もエキゾチック、猪八戒のキャラも最高。すごく面白かった。


  1. 2007/08/25(土) 10:29:34|
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古本とジャズ

酷暑の日々は夏季休暇を取り、出来るだけ家の内外の整理をするという気持ちで、がんばっている。しかし、それでも時間が足りなくて、お盆休暇に引き続き、断続的にでも休みを取って、引き続き作業続行しようと思っている。この暑さの中の肉体労働は半端じゃなくこたえるようで、他には何も出来ない。半端な時間には、ネットをぼーっと読んでいる時間が長く、このところ勉強もしていない。せっかく部屋がきれいになったので、優雅に本を読んだり、音楽を聴いたりしたいのだが、まだ脳は大掃除に占拠されており、その余裕ができない。

半年ぶりに自分の部屋が見違えるようにすっきりしたのが現在の救い。古いCoral(既に存在しない埼玉のメーカー)のスピーカー(20年前に購入)を、DVDを見る際の補助(つまり4チャンネル・システム!)にしているのだが、今回思いついて、それを横置きにしてみたら、部屋の空間が見違えるように広くなった。未だ試していないがDVDを見るときの音響も良くなると思う。

今まで本棚の前の狭い空き空間にばらばらに積んであったCDを、専用の棚を一つ組んで、ジャズ、クラシック、その他に分類して整理した。丸一日かかった。欲を言えば、お店みたいに演奏家、作曲家別に分類したいが、未だそこまではいかない。今までは、何か聴きたい音楽が出てきても、そのCDがどこにあるかわからなくてあきらめていたわけだが、これからは違う。

サックスの練習は昨日久しぶりに出勤前に行う。スケール(音階練習)で指が早く動くようになったのがうれしい。やれば出来そうだ。楽器のレッスンはきっとぼけ防止・脳力向上に効果的で、使っていない脳の一部が働いている感じがする。意識を越えて身体が演奏してくれる状態があると思う。エリントンのC-bluesで、メロディーの後、アドリブを吹いてみるのが習慣だが、段々よくなってきて、楽しい。やはりジャズはアドリブが命。素晴らしいフレーズが出せるようになりたい。きっとなれるよ(この部分は女子高生風に)。そういうことで、レッスンは今月はお休みしている(F師匠、ごめんなさい、交通費節約の意味もあり9月の新学期に合わせて再開の予定です。このところ色々な出費が増えて、生活が厳しいので)。

古本関係者のブログが面白く、読みふける。京都の山本善行氏(古本ソムリエ)の日記を読むと、華麗な文化人(死語)がうじゃうじゃと棲息する京都(関東の人間にはそんなイメージがあります)の古本屋には、面白そうな本がたくさん(しかもめちゃくちゃに安く)出回っているようで、うらやましい。古本好き=ジャズ好きの方程式(?)が成立しているのもうれしく、最近山本氏はズート・シムズばかり聴いているとか。ブログ中に、「スムース」と言う言葉が時々出てきて、?と思う。記憶のどこかに引っかかるものがあるのだ。今回の大掃除で復活した本棚に、それはあった。古本マニアたちが発行する雑誌なのだった。私も「洲之内徹特集号」を一冊持っていた。神保町の古本屋で買ったもの。正確には「sumus」で、古本関係の人たちのブログに出てくる印象的な名前の人たちがすべて(?)編集に関係しているのだった。


  1. 2007/08/22(水) 08:30:33|
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霊気(レイキ)でメタボ対策

先週金曜に、健康診断に行く。血液検査・検便等の結果は未だだが、相変わらず健康だと思う。気になる体脂肪の結果は、体全体の平均値で16%だった。運動していた頃よりも格段に下がった。過去の値は正確には思い出せないが10%近く下がったかも知れない。実はこの一年は時間がなくて、運動(水泳とジム通い)はほとんど出来なかったにもかかわらず! 

もう一つ特筆すべきことは、この一年で10キログラム痩せたのであった。これには色々な理由が考えられる。(1)テナーサックスを始めたこと。(2)運動を止めたこと。(3)霊気を実践するようになったこと。(4)生活が厳しいこと。ちなみにダイエットは全くしていない。一番それらしい理由は、(3)の霊気(レイキ)の効果だと思う。以前も何度か書いているように、レイキの第三段階まで修了して、格段に気の感覚が強まり、チャクラの感覚なども変わってきた。基礎代謝(だと思うのだが)が増えたと思う。リラックスしているときには何か燃焼感とでも言うべきものが、身体の芯、身体の中心軸に沿って感じられる。正確には気の感覚なのだが、これはレイキを学ぶ以前には感じられなかったもの。レイキを習って、第二段階だったかで真っ黒な宿便が出たことは、去年の夏ごろのブログに書いた通りで、やはり、体質も劇的に変化するのかも知れない。

昨日は、土曜は身体を休める習慣になっているせいもあり、涼しかったが、結局意欲に反して何もしなかった。これは子供と町の喫茶店『ミッキー』に昼飯を食べに行ったことが大きい。つまり、こういうことである。

注文したサラダが、大きな水盤みたいな皿の上に山盛りで出てくる。レタス一玉は確実に使いきっていると思う。以前から量が多かったが、今回は圧倒された。家庭的だが、手の込んだサラダ(使われている野菜の種類も豊富、豆腐、ところてん入り)で、しかもこの量は、すごい。700円。ご飯に付いてくるお新香も、並の店なら独立したメニューで出て来る量の数倍はあった。ハンバーグも大きい。残すのは不本意なので、がんばって、ほとんど平らげた。その結果、その後の半日はその消化のために存在したようなものだった。ほとんど動物園のワニの生活。フードファイターか、ギャル曽根か、という気持ちでがんばっていると、常連客と話すマスターの大声が、聞こえてくる。「あのオーダーはこの季節はきついんだ、厨房は40度だよ」。昼間から酔っぱらっているらしい。そのせいで、量が増えたのかも知れない。しかし、内容はいつも通りのレシピで仕上がっていましたよ。

そういうことで、帰宅後すぐ昼寝。目が覚めると夜で、テレビで女子バレー観戦等。日本はすごく個性的なチームで応援しているのだが、ポーランドに勝てない。番組の演出で使われる松田聖子の応援歌は、ジャニーズ系のそれとは違って、意外に違和感が無い。聖子の人徳か。あらためていい声だなあと感心したりする。試合前の演奏で、振り付けも決まるところはさすがだった。

今日は、気持ちを改めて、家の中の整理をがんばる予定。風もあり、涼しく、天気も悪くなさそうだ。しかし、記録的酷暑の日々も終わってしまえば夏が終わったような気持ちになり、少し寂しいかも知れない。


  1. 2007/08/19(日) 09:21:42|
  2. オルタナティブな身体|
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感情の馴致(酒の上での与太話)

ともかく暑くて、大変だ。地球温暖化の影響なのか。

職業生活の中で、「自己の感情の馴致」と言うことを行ってしまったと思う。

それが、良いことなのかどうか、未だに分からないが、「老化に伴う感情の鈍磨」等の問題以前に、この「感情の馴致」を行ってしまい、自分を隠しつつ、職業的な研究者として生きてきたことは、ある種の悔しさとともに自覚せざるを得ない。自分は異物としての存在感が大きかったのだろうし、世間知らずで生意気な奴だったと言うことも確かで、そのせいで、ある種の田舎くさい地方ボス的な雰囲気の(研究の出来ない)先輩に目をつけられていたようだ。今の若い人は、逆に、「場の空気を読む」などということを小学生の頃からテレビで覚えたりしているのだから、私などには太刀打ちできない。

その分、多少だが、実力よりも(組織の中での)出世が遅れた等と考えている。こういうことは、家庭を持つ生活者にとっては、おざなりにできない問題なのだ。私に反感を隠さない先輩の一人は、退職が近づくと全くやる気を失い、研究から早々とリタイアしていた。研究よりも政治に精を出すタイプは、上に媚びを売り、下に手厳しいので、見分けをつけるのは簡単だ。そう言う輩は、短期的には羽振りがよいが、長い目で見ると、本当に幸せかどうかは、大いに疑問な場合が多い。そう言うタイプには病気になる人もいる。いずれにせよ、この組織の中で正論を吐いてもろくなことは無いと言うことが肌身に沁みたので、ともかく、自分の意見は出来るだけ言わないようにして、自分の研究だけに専念するようになった。しかし、独立行政法人化に際して、労働組合が必要になったときには、その組織化を信頼できる仲間数人と行った。そして組織してすぐ手を引いた。だから、必要なときに言うべきことを言わなかったとは思っていないので、やましい気持ちはない。ただ、「議論の場」があったとしても、若い頃のように無防備かつ正直に「正論」を述べるようなことを、意識して避けるようになってしまった。

もう一つ、これは私の経験から言って非常に確かなことなのだが、出来ない研究者に限って、実力で成功することが無理だと自覚しているからなのか、極く若いうちから組織内政治や自分よりも年少の研究者を使うことに熱心なようだ。腕に覚えのある人間は、逆に、自分の研究にはまってしまうため、組織内の政治的な進展に取り残され、どちらかといえば損をする立場に追い込まれてしまう傾向があると思う。

「馴致」などと言う難しい言葉がどうして出てくるのか分からないが、今書き表したいことを表す言葉は、まさしくこれだった。

【大辞林第三版】
じゅん ち [1]【▼ 馴致】
(名)スル
なれさせること。なじませて,次第にある状態に達するようにすること。
「千年万年の間に―された習慣を/硝子戸の中漱石 」

【新辞林】
じゅんち 【馴致】
なれさせること。なじませて,次第にある状態に達するようにすること。特に,動物や魚にいう。

本論に入ろう。私は十数年前にこの田園地帯に引っ越してきて、その素晴らしい自然環境に喜びを隠せなかった。しかし、数年のうちに、見るたびに喜びを与えてくれた欅の巨木が手足をもぎ取られるような形で切り詰められ、あるいは、切り倒され、輝く緑の丘は建設土の採掘のために切り崩され、美しかった景観は見る見る無残な光景に変化して行った。その様子がよく見える道路を行くのが苦痛になって、通勤路を変えたりもした。一体、あの丘の土を業者に売ると、いくらの金になるのか、少なくとも私が買い支えられるような額では無いのは確かだろう。

こういう経験は、実は子供の頃にもあった。両親が郊外に家を建てて、小学校に上がる直前にそちら(松戸の外れ)に移り住んで大学生になるまでのわずか十数年の間に、家の前の原っぱでつながれた一頭の牛がのんびり草を食んでいたようなのどかな環境が、こじんまりした住宅が密集するベッドタウンに一変してしまった。私は、そのような変化が非常に悲しかったが、「感情の馴致」を行い、そのやり切れない気持ちを封印した。私自身がそのような『自然破壊」を推し進める勢力の一部であることを自覚していたからだろう。

ともかく、人間がその物質的欲望の追求と資本(お金)の論理だけで突き進んだら、自然の与えてくれる限りない喜びは失われる一方で、さらに自然のもつ偉大な回復力(だと思う)によって、人間にとっては好ましくない変化(地球温暖化とか)が起きるのも必然だ。ともかく、人間が(自分が)その生き方を変えてゆく他にないと思う一方で、巨木を切り倒す日本の環境(所有者の判断だけでなく、ひょっとすると行政的な指導があるのではないかと思っている。あるいは近所のクレームもあるかも知れない)は貧乏臭すぎると嘆かざるを得ない。こういう言い方はいやらしいと思う人もいるかも知れないが、昔少しだけ生活したアメリカの田舎町では、樹齢100年越えの巨木が住宅街にも大学構内にもたくさん見られたことを思い出す。


  1. 2007/08/16(木) 22:21:43|
  2. 自然観察|
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酷暑・大掃除・嫌われ松子の一生

昨日の日記。

朝、残っていた仕事を片づけた。学会のabstract提出。最近は家から職場のメールがチェックできるので。しかし、家からだとなぜか添付書類が読めない。

エンジンがかかるのが遅いが、その後だましだまし、一昨日に引き続き大掃除開始。この短い夏休みに終わりそうもないので、断続的に続けるつもり。着られなくなった衣類などを処分。文字通り山ほど。ホントウは、色々な活用法があるのかもしれないが、不便な田舎に住んでいるので、古着のリサイクルをするということになると、そのために奔走するだけで一日が終わってしまうため、心を鬼にしてすべてゴミ焼却場に出す。

この十年で日本が変わったことといえば、大量の安価な中国製品が出回るようになったことだろう。それが日本人の消費形態を変えた、給料に比べて何でも高かった昔は、少ない持ち物を大切に使い続けるのが当たり前だったが、とりあえず安物が安直に手に入る時代になり、店頭で欲しいと思ったらすぐ買えてしまう。賢い家庭は別として、わが家のような自覚の乏しい家庭は、気がつくと要らない安物だらけだ。つまり、安易な買い物で大量のものを買い込む一方で、昔の「もったいない」の生活倫理だけが残っているため、家の中は大変なことになる。要するに、愛情の感じられるものだけを買って、それを手入れしながら大事に使うことを、私としては望むのだが(これは主に妻へ)。

そういうことで、ものの整理以前の、ものの処分がともかく大変だが、使わないものをともかく捨てる。

アメリカは、十年以上前、既に衣類や日常雑貨などの生産はほとんど海外(南米、中米など)の安い労働力に頼るようになり、国内産業が空洞化(ダメになる)していたが、そのせいで日常雑貨や衣類は日本に比べるとものすごく安くて、結構買いあさった覚えがある。遅ればせながら日本もそういう状態になった。その頃買った食器なども、今日は処分する予定。

夜、『嫌われ松子の一生」をDVDで観る。中学生と一緒に見るには不適切な部分もあり、どうしようかと思ったが、結局最後まで見る。映画通としては点が辛いエガちゃん(江頭)がブログで唯一褒めていたと言うことだが、なるほど。やはり日本映画は面白い。ともかく最後まで見ないとこの映画の言いたいことはわからない。まじめな意味でスピルチュアルな映画でした。

戦後の日本人を旧世代と新世代に敢えて分類するとしたら、日本の新世代の特徴は、人間観が変わったということでしょう。科学を勉強してその限界を見極めたわけで無くとも、人間が本質的に霊的な存在だということが自然に前提になってしまう。それを証明するのは難しいかも知れないが、実は、逆に人間が物質のみの存在だということを証明することの方が、百倍は難しい。霊的な問題は、いわゆる見霊者によってヴィジョンも主張も異なることが多いので、細かいことになると何が真実か、誰が正しいのかはよくわからなくなってくるが、基本的な認識が正しければそれでよいのではないかと、少なくとも霊的な問題で飯を食っているわけではない私などは思います。ここではそんなことはどうでも良いわけで、「下妻物語」も面白かったが、これは三倍泣ける傑作だった。


  1. 2007/08/15(水) 07:42:51|
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ペルセウス座流星群 ー 大掃除の始まり

昨日、大掃除を開始。
ゴミ焼却場まで、粗大ごみを車で運ぶ。

巨大な段ボール箱を積み上げたような夏の雲の下を、スタンリー・タレンタイン"Up at Minton's"を聴きながら車を走らせるのは快適だった。帰りに町の名物のまんじゅうを買って帰る。サックスの練習は、基礎練習だけで疲れてしまい、メロディーを練習する時間は少なめ。スケールも指が動けば楽しい。

夜、借りていたDVDを返却しにいった帰りに、『ペルセウス座流星群」のことを思い出して、庭先で空を見上げると、明るい流れ星(マイナス一等級くらい)が、その強い光で流星痕を浮かび上がらせながら北から南に流れた。火球タイプも数個あり、子供も喜んでいた。こんな大きな流れ星を見るのは初めてだろう。

頻度は非常に少なかった。うっかりしていたが、極大は前日だった。しかし、印象に残る明るく長い飛跡の流星がたくさん見られて良かった。十二時過ぎまで、二時間弱空を見上げていたことになる。天頂付近は暗いため、天の河が白鳥座からカシオペア付近にかけて見えたが、南の空は街の明かりのせいで明るく、星が見え辛いのが残念。


  1. 2007/08/14(火) 09:47:56|
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夏休みは夏休み

今日は、牛久大仏まで、子供とサイクリングした。
初めは、目的もなく、軽い気持ちで走り始めて、段々探検気分になり、知らない道をどんどん進んだ。ともかく暑かったのは確かだが、風の爽やかさが本当に気持ちよくて、夏の風景の広がりも堪能できた。こういうことを言うのはナンだが、実際、「隣のトトロ」の風景そのままなのだった。

子供の頃も、夏休みと言えば、目的もなく自転車で走り回っていたことを思い出す。その頃に感じた風や木々や草の匂い、夏の光の記憶が自分の身体の一部になっているのは確かだと思われる。行き帰り、自販機で買ったアセロラウオーターと海洋深層水のレモンウオーターの二本を消費。滝のような汗が乾いて、黒のTシャツの上に白く塩分が結晶化しているような状態だったので、これが実にうまかった。

3時間近くのサイクリングの後、へとへとになって帰宅したら、家内の実家から送ってもらったスイカが冷えていて、以前スーパーで買ったパイナップルも凍らせてあり、ラッキーだった。ちなみに、わが家は夏はいつもスイカが冷えているような気の利いた家庭ではありません。

中学生の体力はすごくて、昼寝した後、元気いっぱいだが、私は、昼寝した後も、疲れがひどくて何も出来なかった。感受性も記憶力も判断力も全然違う。

話は変わるが、「ゲーデルと20世紀の論理学」全4巻(東京大学出版会)が完結したので、少しずつ覗き見ている。全巻読破は難しそうだが、紹介されているエピソードに面白いものが多い。例えば、カントールは人類に無限を数える方法をもたらしたが、そのための極度の精神的な集中とクロネッカー等からの攻撃に耐えかねて神経を病んだ。人類に火をもたらしたと言う英雄シーシュホスがその罰(永久の労働と肝臓を鳥に啄まれることだったと思う)を受けねばならなかったというギリシャ神話を思い出してしまうが、彼は、その深い精神的な危機に瀕して一時的に数学を離れ、『シェークスピア=ベーコン説』の研究に没頭することで、「無限の呪い」から逃れようとしたのだそうだ。ユダヤ系(だったと思う)のカントールとカバラーの関係を論じた本もあるらしいので、取り寄せてみたいと思う(研究費で)。

読みさしの中央公論新社『哲学の歴史・第十一巻、論理・数学・言語』も『ゲーデルと20世紀の論理学』と多く重なる問題を扱っていて、自分の中で、もっと勉強したい気持ちが亢進してきた。その辺の基礎的なことに関しては、青木利夫・高橋渉共著の「集合・位相空間要論」(培風館)という教科書が、とても分かりやすい本(名著!)で、以前にだいたい読んだのだが、読み残しも含めて、きちんと読み直したくなってきた。『連続体仮説』も恥ずかしながら今回初めて意識した。実に面白い。

ちなみに、カントールへの攻撃者クロネッカーも相当変わっていて、神が与えたホントウの数といえるのは自然数(1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, ・・・・・)だけで、その他の数は人間の作り出した迷妄(?)だと思っていたらしい。デデキントやカントールが実数論を確立しようという前に立ちはだかった人物がそういう極端な思想の持ち主だったということで、とても面白い。

先週、上の子供と上野の国立西洋美術館「パルマ―イタリア美術、もう一つの都」展も観に行った。これは素晴らしい展覧会で、お勧めします。ヴィンセンツオ・カンピ『受胎告知』(1581)(目録によると「受胎告知」はこの作のみのようなので、これだと思います)は、上方からの光と色の具合が不思議で、現代のホログラフィーで再現された人物みたいな感じで聖母マリアと大天使ガブリエルが浮かび上がって見えて、驚かされた。ともかくあまり知られていないと思われる素晴らしい作品がたくさんあって、今後日本で見られる機会もなさそうなので、期間中(8/26まで)にもう一度行くつもりです。


  1. 2007/08/12(日) 23:19:55|
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暑い。夏休みをくだされ。

昨日で何とか、予算申請関係の大書類を書き上げ、今日から夏休みに入る(つもりだった)。だが、締め切り仕事が二つ残ってしまい、それを家で終えたら、本当の夏休み。とは言うものの、夏休みは家の大掃除と決めているので、それだけで終わりそうです。

今日は暑い上に、風が無いので、本当に暑い。朝、公園でサックスの練習をしたが、汗が背中を伝って、デトックス効果抜群だった。昼は、お好み焼きを焼いて子供と食べた。その後、クーラーのある部屋で横になり、うとうと。笠井潔の新刊の文庫「九鬼鴻三郎の冒険」など読む。全三巻のうち、二巻まで読了。内容的には旧刊で、『ヴァンパイヤー戦争』(第一巻は昭和57年初版・KADOKAWA NOVELS)の外伝。笠井潔はその後、ブームが終わったせいもあるのか、いわゆる伝奇小説は書かなくなってしまったようだ。講談社文庫は装丁の絵がおかしな具合(コミック風?)になっていて、買う時かなり恥ずかしかった。やはり昔通り生頼範義の挿画でいってほしかったと思う。ダメですよ、講談社文庫。

確かに『ヴァンパイヤー戦争』の読者以外には積極的に読む動機がない本で、新しい読者を開拓するための苦肉の策なのかもしれないが、ゲーム作家という人による解説も素人臭いし、この作家もあまり大切に扱われている感じがしない。

私の部屋にはクーラーはなく、扇風機も壊れてしまったので、時折吹いてくる風だけが頼りです。そろそろ暑さも峠を越したので、コーヒーでも淹れて、仕事しなければと思うが、その前に風呂に入ろうかな。でも、体質的に風呂上がりの発汗が激しくて、30分は汗を出し続けることになってしまいます。夏はデトックスの季節。


  1. 2007/08/11(土) 16:07:06|
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練習場所確保

テナー・サキソフォンの方は、出張続きで、練習が出来ず、調子が落ちていたが、最近ようやく何とか練習を続けられる生活に戻った。そうすると、音も出るようになり、練習も楽しくなる。練習場所も、車で家から5分くらいのところに小公園を見つける。周囲に民家は皆無。少なくとも寒くない季節はここで思う存分やれるでしょう。気兼ねなく吹けるのが何よりで、周囲に気を使いながら吹いていると、音も萎縮して、面白くない。ベンチの前方数メートルのところに庭石が据えてあるので、それに向けて吹くと、反響で音が聞こえて良いようである。リードは3.0に変えたが、吹き方もそれに対応して変わっているようで、試しに以前の2.5を使ってみると、”ビャーッ”と言う感じになってしまい、戻るのは難しそうだった。未だ、音楽がどうしたというより、音作りの段階で、スケールも制覇しているとは言えないが、気長に練習を続けようと思う。水泳も、少しずつ復活。



  1. 2007/08/07(火) 23:12:46|
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Introducing ズート・シミズ & デクスター・ゴンドー

色々と生活の負担が増えつつある。道楽でサックスを吹いている場合ではない。
どんなにヘタクソでも、金のとれるプレイヤーになれ。今すぐに!
というわけで、とりあえず芸名を募集したところ(?)、タイトルの2名を考えてくれた(脳内フレンド)。ありがとう。双方とも採用です。どこかで聞いたような響きが良いではないですか。自主製作CDでは、二管で行きたいと思うので、これでいいのだ! 賛成の反対。

話は変わりますが、この日曜に、すごいCDを聞きました。ぜひ、性能のよいオーディオで聴いてみて下さい。特に、三曲目の"Sea - type a"は、私のステレオで聴いた音響体験のベスト3に入る。テナーサックスの旧橋壮の処女作(2002年)です。

やはり旧橋は迷うことなく天才路線で進んだ方がよいと思った。毎回300枚程度でよいから(製作費は回収しつつ)コンスタントにCD作品を発表して行って欲しい。デジタル時代の異能者の生き方はそれしかないでしょう。デジタルデータが世に残れば、(たとえ後世でも)必ず評価する人が出てくる。
furuhashi furuhashi
旧橋壮 (2002/09/22)
インディペンデントレーベル
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この作品が気に入ったら、最新作"Lush Life"(おーらいレコード)、それから以下の「宇宙の花」も要チェックです。すべてのジャズ・ファン、コアな音楽ファンに。
宇宙の花 FLOWER OF COSMIC 宇宙の花 FLOWER OF COSMIC
旧橋壮、FURUHASHI TSUYOSHI JAZZ QUARTET 他 (2007/06/13)
GREEN LIGHTS LABEL

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  1. 2007/08/02(木) 23:15:34|
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