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平和憲法九条

今、防衛大臣が長崎の「原爆投下に理解を示す」というニュースが流れた。

講演会場でのその発言のビデオをテレビで見た。こういう奴隷根性【こういう言葉は誇り高きかつての奴隷たち(スパルタクスとか!)に申し訳ないが】の持ち主が防衛大臣を務める国で、戦争放棄を放棄する(ややこしい)とどうなるか。アメリカによる「平和のため・民主主義のため・正義のため」の戦争に日本人が派兵されることになるのは時間の問題だと怖れている。既に自衛隊の戦地派遣は行われている。政治の問題は、決して額面通りに受け止めてはならないと思う。必ず、裏がある。そして、イエスかノーの二分法でもない。その中間の中間の中間みたいな、曖昧な部分があっても良いし、必要なのである。現行憲法と自衛隊の曖昧な関係は、物質で言えば、metastable state(準安定状態)みたいなものだと思っている。エネルギー的に一番安定な状態ではないが、エネルギー的な障壁(活性化エネルギー)に護られているために、実現してしまう状態のことである。最も硬い物質であるダイヤモンドが、実は準安定状態であることの示唆する意味を考えるべきだ。

もう一つは、全国的に原発を展開・運転している現在の日本で、戦争が起きたら、まず日本という国家が滅びる他にないと思うのである。日本が、防衛のために戦争をすることは、そのまま国家滅亡を意味する可能性が強すぎる。現在の状態で、「本土防衛」なんて言うのは幻想でしかないだろう。少なくとも、私が仮に北朝鮮か中国か、その他の国の指導者で、日本を本気で滅ぼすつもりだったら、真っ先に原発をねらうし、もっとお手軽には、核兵器(戦略核等というものもある)を撃ち込むだろう。それですべて終わりだ。だとしたら、論理的にも、日本が防衛のための戦争をリアルに用意する意味がないわけである。日本の生き残る道は、知恵を働かせて外国とうまくやっていくしかない。その際の外交的な一装置として自衛隊も考えるべきで、決してリアルな防衛戦争をするための軍隊として考え始めない方が良い。広島長崎以後の世界は、日本から、戦争という選択肢を奪ってしまったことを認識しないのは愚かと言う他にない。テレビで見る首相の犬顔(とその奇怪な発言)が、ますます薄気味の悪いものになってきた。

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  1. 2007/06/30(土) 23:37:01|
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公園デビュー

先週月曜のレッスンで、師匠に「音が抜けましたね」と言われる。サックス奏者は、楽器とともに成長するもので、端的に音がよく出るようになり、音の大きさも一段階増した。そうなると、段々家で練習し辛くなるもので、公園で練習することになった。

仕事前に朝の公園で緑を眺めながら吹くのは快適である。リードは今まで2.5で、これだとものすごく大きな音が出る。私の現在のテリトリーには、緑の公園と、石造りの公園があり、後者の一角に、アーチのある建築を見つけ、その内部で吹いてみると、反響がすごくて、自分でもびっくりした。無人だと思っていたが、管理人が出てきて、実に困惑していたので、その理想的な環境を捨て、今度は石造り公園に向けて、吹いていると、視野の端に人物が見える。また、管理人が文句を言いに来たのかと思い、視線を合わせないように吹き続けた。しかし、一曲終えたところで、「いやー、実によい音ですね」と話しかけられる。こぶ平が歳をとったような感じのおじさんで、ジャズマンKとしての私の生涯最初のお客さんだった。「スリーピーみたいでね、実によい音だ」と、褒めちぎられた。スリーピーとは、松本英彦のことで、これ以上の褒め言葉は無いだろう。「実は私の師匠は松本英彦の弟子筋でして・・・」等と、私もおだてに乗りやすい体質だ。

おじさんはジャズ好きの例に漏れず、饒舌だった。私も調子に乗って、覚えたての"Left alone"など吹くと、早速マル・ウオルドロンの話になり、日本でマルが生活していた頃に、直接話をしたことがあるという。かなりのジャズ好きと見た。Round about midnightをやると、「あたしが一番好きな曲ですよ」と喜んでくれた。おじさんのおかげで、実に幸福な公園デビューを果たすことができたのであった。


  1. 2007/06/17(日) 13:02:06|
  2. サキソフォン|
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ナマズを釣る

IMG_4406-250dpi-50mm.jpg

昨日の午後、近所の川で子供がつり上げたナマズです。
全長で25cm位だったかな。撮影後、リリースしてしまいました。
子供は、43cmのボラ(?・下の写真)も釣り上げ、大満足。私は、坊主でした。
20070617123222.jpg


先週私が釣ったナマズは、35cm以上あったと思う。
この大ナマズはビオトープに入れてしまいましたが、聞けば肉食とのことで、最近メダカを見かけなくなったのが気がかり。下の写真は、大ナマズの棲息するビオトープで、昨年植えた蓮が生長しています。
20070617150504.jpg




  1. 2007/06/17(日) 11:07:05|
  2. 自然観察|
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美の問題

読書は、時間を盗みつつ。

岡本太郎「美の呪力」は、かなり前に読み終えた。精神の若さ、志の高さ、子供の心。等々、21世紀初頭の日本には見えにくいものを見て、刺激された。宇宙の問題は、すべからく美の問題なのだ。ハッブル望遠鏡は、120億光年のかなたを見通すことが出来るそうだ。今の天文学によると宇宙の年齢は127億年。一般的に、大きなものは、寿命も長く、小さなものは、寿命も短い(例:颱風とコーヒーカップの中の渦巻き)。サイズの問題。

しかし、美の観点から言えば、須臾の間(子供のための注:あっという間)に消えると見える存在(トンボ、朝顔、君)にも、無数の銀河系が「泡構造」を構成するという宇宙の大構造にも匹敵する美があるのだ。いや、きっと、たった2メートルにも満たない君自身は物理的な大宇宙よりも複雑・高度な美を所有・内包・外包している。そこに宇宙の秘密がある。

宇宙の寿命も、シャボン玉の寿命も、サイズの問題に過ぎないとして、問題は、その(長い・短い)寿命の間に、どれだけの美を感じ取り、読み取ることができるか、だ。さらにいえば、どれだけの美を、この世界に付け加えることができるか。そこにしか現代的な意味での倫理の根拠は無いのではないか。

と言うのは、私の感じる意味での宇宙の美は、決して主観的なものではないからだ。それは、数学・物理の持つ、有機的な生きて発展しつつある構造の中に確かに存在し、場合によっては指導原理にさえなりうるもので、イデアと言った方が
正しいのかもしれない。その時の美の感覚と、われわれが生きていく上での美の感覚は、決して無縁のものではなくて、深いところでは同根だと言いたいのである。

国家・教会等の地上的な権威が道徳の「根拠」を与えることはできない。それは時代遅れで、現在の人間精神の発展段階にそぐわない。しかし、この世界の美を読み取り、感じ取ることの中に、倫理の根拠を見ることができるはずだと思う。美の中には、実は愛がある。

シュタイナーは、人間の目の届くあらゆるところに、既に神の叡知が実現されていると語っている。科学・数学を学ぶ私は、全くその通りだと心から同意できる。問題はその後で、遠い遠い将来、全く同じように、人間の目の届くところすべてに、愛の表現が見いだされるはずだ、ともシュタイナーは述べているのだ。人間の苦難に満ちた歩みは、その実現のための歩みだと言うのだ。おぼろげではあるが、そのような世界のイメージは、私には、絵空事では無いと感じられる。

宇宙は巨きな巨きなシャボン玉で、それが膨らんで、はじけ飛ぶまでの、ごくごくわずかの合間に、人間と、神と、悪のドラマが演じられ、その最終幕近く、宇宙が愛の物質化された世界に変容すると言うイメージは、美しすぎるが、私は、それを信じたいと思う。


  1. 2007/06/09(土) 13:35:21|
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減衰振動

一週間ほど再びの海外出張で、しかも、辺鄙なところで、ネット環境が悪く、ブログ更新もままならなかったが、昨日帰国。旅行術は完成の域に達した等と、いい気になっていたのに、やはり旧社会主義国のサービスの悪さに完敗の格好だった。色々と仕事の方も、押しているし、したいこととしなければならないことが迫っているが、何とかしよう。努力すれば何とかなるもの。

昨日は、さすがに疲れたので、夕方から寝ようとベッドに横になったが、なぜか寝付かれず、読みかけだった「どろろ」を読んだ。奥付によると、ちょうど私が小学校から中学に上がる頃に少年サンデーで連載されていたようだ。今回、私はリアルタイムで当時ほぼ全体を読んでいたことがわかったが、少年サンデーで突然の連載中止にされた最終回しか知らなかった。今回、「冒険王」に載った曲がりなりにも終結された形の再・最終回を読むことができた。小学館が捨てて、秋田書店が拾ったのか。今回は、その秋田書店の「コンビニまんが」版である。秋田書店、よい仕事しているな。小学館は駄目だな。帰国した途端に、いつもの生活時間に戻って、結局12時半に寝て、熟睡できた。今朝は、ゆっくり、8時過ぎに目覚めた。

手塚治虫は死んだ途端天才呼ばわりされたりしてもてはやされたが、生きているときには「どろろ」のような大傑作でさえ、おそらく、読者の人気がないという理由で、連載中止・中途半端な終結の憂き目にあっている。今となっては、当時の少年サンデー編集部の愚挙を嘆くほかはない。まだ、登場すべき妖怪は30匹も残っていたというのに。

子供心にも残ったのは、野盗「いたち」のエピソードで、単純に言ってしまえば性善説ということだが、こういう漫画を子供の頃に読めたのは、自分の人格形成にとって、甚大な影響があっただろうと思わざるを得ない。


  1. 2007/06/02(土) 11:01:24|
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