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問い:九龍力は距離のX乗に比例する。 答え:x=  

以上、2006年バカ田大学入試問題より。
正解できた人のバカ力(りょく)はバカボンのパパ並なのだ。

と言うことで、ご無沙汰しております。最後の書き込みが、「・・インモウ・・」で途切れたままで、気にはなっていたのですが。最近は、すっかり寡黙な男になってしまい、一日に発する言葉もめっぽう少なくなった。「男は黙ってサッポロビール」のCMのサブリミナル効果(?)が、40年後になって出てきたのか。

論文脱稿。

今日中に、締め切りを延ばしてもらった論文を投稿するつもり。読み返しながら、引用文献をつけて行く。表現の粗雑なところをより精妙な言い回しに書き換える。論文執筆作業にコミュニケーション・エネルギーとか、自己表現欲とかを吸い取られていたのかも知れない。

科研費の申請はひとまず終えました。締め切りばかりで、勉強する時間が取れていないのが少しつらい。

「エヴァ」は第弐拾弐話まで。なるほど、これは、す・すごい。焼酎のお湯割りを飲みながら、夜見ています。「残酷な天使のテーゼ」をカラオケで歌えるようになりたいのだが、歌い出しの音程が微妙で、何度歌っても、納得できない。「フライ・ミー・to・ザ・ムーン」の方が、よっぽど簡単だね。

本は、藤原新也の新刊「黄泉の犬」と丸山健二の短編集を昨日購入。後者は、本屋で立ち読みを始めたら止められなくなって。それと、学研から出ている、「聖書早わかり」みたいな題のムックを、コンビニで衝動買いしました。これは便利そうだ。

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  1. 2006/10/31(火) 13:28:20|
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夢の変容

reikiの第三段階を修了してから2ヶ月経った。第一段階を受ける前の数ヶ月、未だ、そのつもりは全くなかった頃に、ともかく、掃除したい気持ちが強まり、大掃除とか、がらくたの整理とかに時間を費やしていた。これも今から考えると、無意識にreikiのアチューンメントの準備を始めていた気がする。第一第二段階は、嵐のような時期で、reikiアチューンメントを受けたからと云うよりも、reikiがそのような嵐に立ち向かうための支えになってくれた面もある。嵐が先か、reikiアチューンメントが原因か、超越的な視点に立てば、原因も結果も無いわけで、どちらも正しいというのが本当なのだろう。

若い頃にかじった野口整体と、シュタイナーと高橋巌先生のおかげで、「気」というもののリアリティーとその宇宙的な広がりを理解しているつもりであったが、reiki第三段階を修了して、その実体感が強烈に深まった。

ちなみに、「気」、「霊気」、「微細エネルギー」、「宇宙エネルギー」、「微細波動」その他、呼び方は色々で、どういう言い方が適切なのか迷ってしまう。

タンマヤ・ホナヴォグトさんの「レイキと瞑想」にカラー図解されているような
エネルギーの流れの感覚が、常時感じられるようになった。

私がreikiを実践して思うのは、佐藤愛子の「私の遺書」に出てくる神人(注)の言葉で、「地球には神様の愛の光が降り注いでいるのですが、今では人間の邪念の力が強すぎるので、それに遮られてしまって、その神様の光が地上まで届かないのです」という話である。reikiの治癒力・ヒーリング力の根源は、結局、そう言うものではないかと。ただ、そのように明言しないのが、ある意味、素晴らしいわけで、日本人らしく(?)、皆まで云わないのがreikiの美学でもあり、現代性なのかも知れない。

饒舌ついでに、もう少し書いてみると、reikiのシステムの面白い点は、中心的な組織が全く存在していないらしいことである。これは、何か、「剣」の世界にも似ているようにも思う。伝説の開祖は居るのだが、各地に道場を持つ師範がいて、皆どこかの道場で剣を身につける(免許皆伝)。その後は、修行の身として、「道場破り」をしたり、各地を放浪して新しい技を身につけたりする。新しい流派が出てくる点も似ていると思う。こういうのは、私は非常に好きだ。

そこで、夢の変容であるが、今までは、一人の夢が多かった。つまり、夢の主体が私一人である場合が多かったと思う。しかし、最近は、夢の中で、仲間が現れるようだ。何故か、細野晴臣と坂本教授が出てきて、邪気を吐く狸像と闘ったりして。これは、テレビゲーム的構図だが、その邪気の色が独特にリアルだった。昔の友達が一緒のこともある。金色のお社が出てきたりとか。魚の夢も再開してきた。異なるのは、子どもが一緒で、子どもがその魚を素手で生け捕りにして驚いたり。

(注)名前は失念、田舎の村長さんのような風態の素朴な、しかし、全く不思議な、世俗を超越した人物で、佐藤愛子の霊璋問題を解決に導く。佐藤愛子があなたは本当は神様なのではありませんかと聞くと、全く悪びれるでもなく、当たり前のように、古事記にでも出てくるような神様の名前を名告った人。


  1. 2006/10/21(土) 12:57:57|
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新しい秋・付「V for vandetta」

毎年思うことだが、秋は素晴らしい。
少なくとも関東地方では、何か特別な季節で、日本がヨーロッパに引っ越ししたような気分。こういう季節に、旅行したり、山に登ったり出来る人はしあわせだ。昨晩、きれいな月を見ながら、山に行きたいと思った。今のうちに身体をそこそこ鍛えておいて、後何年かして、もう少し自由になったら、学生時代のように、テントを担いで、山を歩こうと思った。それから、テナーサックスを習うこと。これが私の二大願望。ささやかながら、こういうことがなかなか実現出来ない。

今は、本当は忙しい季節で、昔なら休みも返上して職場ではたらいていただろうが、最近は、そう言う働き方は止めてしまった。原稿の締め切りは、三週間延ばしてもらった。編集担当者の手の内はわかっているので、こういうことも可能だ。もう一つの締め切りは、実験に関することで、こちらは相手側のスケジュールを狂わす可能性があって、社会人的には、まずい。しかし、もう二・三日待ってもらおう。科研費(文科省の研究予算)の締め切りも近い。こちらは、職場の締め切りが早めなので、やはり少しの遅れは何とかなるだろう。

ブログで褒めている人がいたので、「V for vandetta」をDVDで見た。
11月5日というのが、作中で、特別な日なのだが、どうせなら、11月9日にした方が良かったのでは無かろうか。「ニューヨーク同時多発テロ」が起きて直後に、既に田中宇氏のHPでは、米国政府の陰謀説が説かれていて、その後の動きを見ていても、私のような政治素人にも何かおかしなものがあるのは確かだと思われた。「V・・」は、この「同時多発テロ政府陰謀説」を絵解きしたような映画だが、今更これを観て興奮するようなナイーブさが私には欠けているようだった。ここ数年、最近のハリウッド映画を観て、興ざめな思いをすることが多い。これもその例に漏れず、21世紀ハリウッド的形式主義・約束事の世界。何でこんなにつまらないのだろう。作っている人たちも、山崎パンの工場でパンを焼いているような感じで「映画、一丁上がりー」てなものかな。映画のシステムが完成した途端に映画は腐り始めるのか。私には、頭に「ずら」を乗せた哀川翔の方が好感が持てるよ。

この映画で感覚的に嫌だったのは、絵空事のヒーローが、CGリアルな(と私には思える)流血シーンを演じてみせることだった。ちなみに、椿三十郎(黒澤明)の最後の決闘シーンの大出血には必然性も説得力もあったけれど。


  1. 2006/10/09(月) 09:42:29|
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