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凡人のサトリ

65-200


数学の定理・世界は、美しく、それだけでありがたく、思わず合掌したくなるようなものである。「顕現」の輝きがある。

私のような浅学非才の研究者にとっての研究上の方法論は、一つの方法を身に付けたら、それを徹底的に磨くこと、切れ味を鋭くすることなのだ。あれこれ迷っている暇は無い。それで行けるところまで行ってみることである。

実は、このひと月・ふた月あまり、ほとんど勉強することが出来なかった。そろそろ、イデアの世界に復帰しよう。その世界での苦労は、全く苦労ではない。

サトリの件。サトリへの形態は、全く人それぞれであって、自分自身のサトリの小道をたどれば、それで良いし、それ以外には無い。いわば霊的固有空間(=自我?)の自覚だ。何か一般化したり、法則・命題に持ち込むのは早過ぎる。(私にとっては)全く具体的で、瑣末で、矮小なこと自体がもっとも貴い。それを痛切に感じている。



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  1. 2006/07/29(土) 12:31:44|
  2. 人智学|
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宿便

前にも書いたように、ブログ日記とは、透明なプラスチック製のアパートのような、未来的な、常識を覆した、奇妙なものであり、プライバシーの存在は、微妙だ。そこに、ブロガーの葛藤もあるわけで、ブログ書きに挑戦している人の多くが、ここで矛盾を感じ、脱落して行くか、方針を決めて、プライバシー抜きでやって行くか、それとも、その中間で、うろうろしながら書いて行くわけである。

そこで、いきなり、尾籠(びろう)な話で恐縮であるが、昨日、宿便がでたようだ。今朝も、その続きだったようである。真っ黒な印象の下痢が便器を征服している様は、大げさに言えば、我が目を疑うもので、今までに見たことがなかったと思う。これは、私のreiki(霊気)生活の始まりの歴史の一ページなので、書いておく。ともかく、偶然の一致、ユング言うところのシンクロニシティーが、多くなった。思わぬところで知人と出会ったり。セルフヒーリング・他者ヒーリングの最中に、昇る太陽の印象・映像、天使の羽根の印象(中世的な、とても大きな、鳥の羽で出来たもの)なども、少しづつ、出るようになってきたようだ。腰痛も出た。フラフラにもなった。いわゆる浄化が、色々な意味で、きつい面がある。


  1. 2006/07/21(金) 09:30:05|
  2. オルタナティブな身体|
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ロッキー山脈国立公園

小川

砂地の清流に魚影(マス?)が濃い。よく見えます。大型動物の糞(エルク?)もありました。


  1. 2006/07/17(月) 12:00:42|
  2. 海外|
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渡辺貞夫の夢

ビイル

写真は、デンバーで飲んだ“サミュエル・アダムス”。日本人みたいにビイルの注ぎ方に凝ったりはしないらしく、泡も無し。しかし、おいしいビイルです。

ブログ日記とか、HP日記とか言うものは、妙なもので、未だ、日記としては当たり前では無いと思われる。昔、透明なプラスチックでアパートを造り、すべての生活が丸見えであるような未来建築を夢見た化学エンジニア(後に文芸評論家で太宰治の専門家)がいて、今思えば実に20世紀的な未来観なのだが。20世紀のわれわれは、21世紀にはすべてが新しく、今とは違う生活になる、常識が覆され、いうなれば人間は「未来人」になる、と信じていたのかも知れない。さて、今は21世紀である。透明プラスチック製のアパートは実現しなかったが、他人が自由に見られる日記は発明されたわけである。

さて、昨日は、全く電撃的な偶然の一致に見舞われて、これがreiki効果なのか、と思った。そして、夢の中で、渡辺貞夫が狙撃されている。次々と矢だの、銃弾だのが彼をねらって撃ち込まれる。すべて、脅しのように、ギリギリの線で逸れて、彼は、アニメの人物のように踊りながらそれらを避けていた(と思う)。中には、子どもの頃遊んだ吸盤のついた矢も多数。しかし、そのうちに、ついに、一発の矢が彼に命中する。

この場合、渡辺貞夫は、私なのだろうか。風貌的にはそのようだ。しかし、私は彼ほどのナイスガイではないのが残念だ。

手塚治虫の漫画で、ヒゲオヤジが「矢でも鉄砲でも持って来い!」と言うと、実際に矢と銃弾が雨あられの如く降るわけだが、そういう感じも少し。


  1. 2006/07/17(月) 10:44:06|
  2. 日誌|
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袖擦り合うも他生の縁 人智学原理主義者の独白

ice tea2

写真は、先週コロラドで昼飯時に頼んだアイスティ。

菅原浩氏のブログ「美しさの中を歩め spirit soul & body」をリンクに加えた。既にこのブログ上では、私は人智学徒(シュタイナーの思想を学ぶヒト)としてカミングアウトしてしまっていたが、最近まで、なかなか氏のブログをリンクする肝が据わらなかった。このブログ(イデアリストK)も、昨年10月に書き始めた頃には、このような展開になるとは予想もしてなかったわけで、実に面白い。

菅原さんの今日のブログにシュタイナー「いかにして前世を認識するか」が取り上げられていた。私も数カ月前に買って持っていたし、確か読了していたはずだったので、本棚から探し出してみる。早速開いたページに面白いことが書いてあった。しかし、その部分の記憶がない。読み終えていなかったのだろうか。

「袖擦り合うも他生の縁」ー偶然すれ違う人でさえ、前世で出会ったことのある人。こういうフレーズを日常的に使う日本人には、実は、シュタイナーの思想はなじみやすいはずだが、実際には、没後80年経った今でも、自分が人智学徒であると社会的に公言する人は少ないだろう。たとえば、シュタイナー・シンパとして知られる数学者の丹羽敏雄氏(津田塾大・放送大学教授)も、私の知る限り、シュタイナーの霊性思想に関しては、発言はされていないようである。

シュタイナーが自ら言うように、人智学の最重要部分は「輪廻転生とカルマ」の思想である。これを聞くだけで、「引いて」しまう人が多いに違いない。

しかし、人が何かを信じるとは、いったいどういうことだろうか?

不勉強な私は、最近、確率論で「ベイズの定理」に関わる面白い例を知った。ここでは詳しく紹介しないが(いつか詳しく書いてみたい)、ベイズ確率による計算では、人が何かを真であると信じる確率が、その命題を支持する事象の存在を知ることで、劇的に変化(逆転)してしまう(場合がある)。ネガティブな例では、オーム真理教事件があるかも知れない。全くの推測ではあるが、麻原教祖は、確かに信者を超感覚的な体験をするところまで連れて行く力を持っていたのではないだろうか。犯罪事件に関わった信者たちは、その(霊性体験としてはあくまでも部分的な)経験をもって、教祖の主張をー全てー真であると受け取るようになってしまったのだろう。

上の例はネガティブな場合だったが、私の場合は、学生時代の「野口整体」体験から入っており、シュタイナーの主張するエーテル体(簡単に言えば「気の身体」)の存在は、リアルだった。ベイズ確率の計算にあったように、貧しいながらも自分のエーテル体経験が大きな要因となって、シュタイナーの思想に強烈なリアリティーを見たと思う。「気」の経験に引き込まれ、しかし、それを説明する言葉を自分の学ぶ科学の世界に見いだせなかった私には、シュタイナーとの出会いは、運命的にも思えた。

シュタイナーの講演録「いかにして前世を認識するか」に戻ろう。私が開いたページに描いてあったことは、「人は、自らが一番必要としているものに対してもっとも激しい反発を感じる」ということで、「輪廻転生とカルマ」に関する問題が、まさにそれである、というのであった。
人智学では、もちろん、人間以外の霊的な(物質的身体を持たない)存在(神、天使、神仏、菩薩、その他、呼び方は文化により異なるだろう)の地球・宇宙における働きを認識・詳述しており、壮大な「霊的進化論」がその骨子をなしている。その中で、霊的進化途上の人間は、宇宙における独自の・かつてのどのような天使的存在にも無かった新しい使命をもっている。しかし、宇宙全体での霊的な進化の途上で、その進化から取り残された存在もあり、人間のあるべき進化を思いとどまらせたいと強く望んでいて、その方向でさまざまな働きかけを人間に対して行っているというのである。それらが、ルシファー、アーリマンと呼ばれる。上述の激しい反発には、ルシファーなる存在の働きかけが強く働いている、というのである。

このようなことを書くと、友達を失う羽目になる可能性が高い。

「Kさん、もうダメなんじゃないか」とか。「新興宗教にはまったようだ」とか。そこで、一言弁明させてもらえば、シュタイナーの新しい点は、「全て」を自覚の上で、その仕事を進めたということであろう。「全て」の中には、当時の(それは現代でも同断だが)左翼系セクトのドグマに毒された姿も含まれていると思う。高橋巖先生もその辺は、実に注意深く自覚的な態度を取られていたと感じる。イデオロギー的、教条主義的なあり方は、全く人智学とは相反するものである。なぜなら、人智学が明らかにする人間進化の目標とは、人類が、霊的進化の果てに、いまだかつて宇宙に存在したことの無い、「自由の霊」として生まれ変わることなのだから。(これじゃ、弁明どころか、さらに墓穴を深く掘ってる?!)

(補足)
科学は、物質に関する限り、「かなり良い線行っている」。特に、20世紀前半に量子力学が出現したために、我々の物質理解は、首尾一貫していて、見通しがよく、しかも、数学的な予測性を備えたものになっている。「原子爆弾の威力」を目の当たりにした日本人には、科学の有効性(こちらは相対性理論の成果だが)を疑うわけことは不可能であろう。しかし、同じように、現代ヨーガやreikiなどを実践して、それらがプラーナや宇宙エネルギーと呼ぶものを経験したり、あるいは、チャクラの存在を実感したりするようになると、科学が見逃している世界が存在することを考えざるを得なくなってくる。そういう人は確実に増えているし、公にカミングアウトしなくても、まじめに探求している人は多く、今後、日本の「表の」文化状況も変化する可能性は大いにあると思う。現代日本の病理的症状が、それを求めているようにも思える。


  1. 2006/07/09(日) 11:52:57|
  2. 私にとって大事な非常識|
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サミュエル・アダムス賛江

シャイニングの道

コロラド山中のグランドホテルといえば、「シャイニング」でしたっけ?
ジャック・ニコルソンの出る映画は、それだけで、すべて傑作。
こんな山道を、予備日の日曜に走りました。
未だ国立公園の入口まで到達していません。


  1. 2006/07/08(土) 22:55:37|
  2. 海外|
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アメリカでレンタカーを借りること

珈琲牛乳

会議の場所が場所で、行く前から迷っていたのが、空港からレンタカーを借りるべきかどうかということだった。国際免許は出発前に地元の中央警察署で30分で取れたが、webでレンタカーを予約するところまでは胆が決まらず、結局、現地で決めることにした。昔々、アメリカ生活をした頃、もちろん車を使っていたわけだが、考えてみると、その時には、AAA(トリプルA、american automobile association、日本のJAFをずーっと親切で使えるサービスにしたようなもの)にも入っていたし、第一、人間ナヴィが助手席にいたわけで、自分では何も考えずに運転していたわけだ。ちなみに、最近、自分の車のナヴィが壊れて、不便をかこっているが、「脱皮」というキーワードを当てはめてみると、これも、「ナヴィ」に依存せず、自分で自分の進路を決める生き方をしろ、ということであろう。そこまで考えて、ビジネスクラスに気を良くしたこともあり、デンバー空港で、レンタカーを借りることにした。ちなみに、カーボンナノチューブで世界的に有名なI博士(アメリカ生活も長かったはず)とゴードン会議をご一緒したとき、「アメリカでは、レンタカーでどこでも行く」とさわやかに語っていたのも、頭の隅にあったかも知れない。

まず、空港のカウンターに行ってみると、誰もいない。バスターミナルに行けとだけ書いてある。行ってみるとレンタカー会社のバスが循環している。その意味を悟るのに、時差ボケの頭で30分ほどかかっただろうか。そのバスに乗って、レンタカー会社の敷地まで出向き、契約する。初め、間違えて、3日間で契約したら、べらぼうに高い。保険料も含めて5万円近い。2日間で良かったと気付くのに、時差ボケの頭で30分ほどかかる。2日にしたら、2万円程になる。詐欺のようでもあるが、これなら、ホテル・空港の行き帰りにバス(の形をした乗り合いタクシー)を使った場合と変わらない額になる。

それからが問題だった、車は、フォード・トーラスの茶色のセダンで、乗り込んで見ると、まず、ライトの点灯の仕方がわからない。雨も降り出した。最近の日本車の様な、大きなサイドミラーではなく、後方確認に不安を感じる。ドライヴァー・シートがいわゆる電動シートで、この動かし方を悟るのに時差ボケの頭で30分ほど(いや、10分ほどね)かかった。パーキングブレーキの解除の仕方もわからない。これを悟るのにさらに10分かかった。初めて乗る車に体がついて行くまでには、しつこいようだが時差ボケの頭もあるので、1時間はかかる。

それからレンタカー会社の広大な駐車場を脱出する前にも、出口で契約書を見せろと言われたが、それがどこに行ったかのか見つからず、結局再度事務所まで戻って発行してもらったりしているうちに、日はとっぷり暮れ出して、もはや、夜のドライブは必至の状況になった。

レンタカー会社の黒人のおばさんに地図をもらい、ルートを教えてもらった通りに、高速に乗って走り出すわけである。自分の手足のように動くというわけにはとても行かない慣れないフォード車に乗って、だだっ広いアメリカ大陸の夜の高速に乗り出してみるのは、もはや十分に冒険だった。

ポイントはわずか三ヶ所であって、それらを無事クリアできれば、ボスキャラを倒したことになる。ではなくて、ホテルに到着だ。しかし、一ヶ所でも間違えたら、軌道修正である。第一のポイントは、高速に乗ることで、これはクリアー。第二で、270-Northと教えてもらっていたのだが、これは、270-westだったことが後で判明する。どこまで行ってもそんな標識は出てこない。しかも、後で気がつくのだが、道路の番号と、高速の出口の番号を混同していたので、どうにもおかしな状況になり、結局一度高速を降りて、路肩に駐車し、地図を見ながら考え直す。降りてしまうと、まず、道路の向き(二方向しかないけど)がわからない。ガソリンスタンドで尋ねようにも、既に、無人の時間だ。高速を降りてしまうと、なおさら訳がわからなくなってくる。この分では、ホテルに着けるかどうかも怪しくなってくる。どこかのモータリストホテルに泊まる羽目になるのか。

結局、地図に乗っている高速の出口の番号が、高速の標識として一番はっきりしていることに気がつくまでに、時差ボケの頭で、さらに二時間ほどかかる。空港の売店で買っておいたミントの菓子を頬張って眠気と闘いつつ、真夜中近く、巨大ホテルがライトアップされた姿が目に飛び込んで来たときは、正直ほっとした。しかし分析してみると、今回のやり方は、数学の難問を力技で解いた感じに近く、「エレガントな解答」からはほど遠いものであった。

脱皮とは、このような、人目につかないところで行われる一見無意味な苦闘である。しかし、本人にとっては、一歩間違えば、生きるか死ぬかの瀬戸際に近いものであり、体力と知力の限りを試される試練でもある。大げさに聞こえると思うけれど、この経験によって、何か自分が一回り大きくなったような、世界が広がったような気がします。



  1. 2006/07/03(月) 20:11:02|
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ルームナンバー911

room number 911

もう何年経ったのでしょうね。色々なことがあったはずですが、私はあれ以来、アメリカ合衆国というものが何だか、厭になり、仕事の方でも、アメリカ方面は敬遠する傾向になってしまったのです。その嫌悪感が新鮮さを失い始め、日常とか、自分自身の問題に没頭していましたが、相変わらず、アメリカには仕事に出る気がしなくて、避けていたわけです。

しかし、今回は、国際会議の招待講演が舞い込んだので、行かないわけには行かない。大きな学会では、招待講演の数も多く、それほど誇らしいものでも無いかも知れないけれど、研究者にとっては、色々な意味で、招待講演というのは、大事なものである。

渡米の何日か前の明け方のこと。家の前に、大きな淵があり、その岸辺が家の二階から見える。これは明らかに、実際の自分の家の状態(ビオトープと呼ぶ池があります)を反映しているわけですが、その大きな淵の岸辺の水中が見える。水中の地形は複雑に出入りしていて、その一々のへっ込んだ部分にカニが潜んでいる。巨大なカニである。私は、これはぜひ、捕まえたいものだと思った。すると、淵だと思った水圏は、はるか遠くまで広がっていて、上流から大きなワナ(大きな牛乳瓶の底にカゴがついたようなものだった?)が流れてくる。これは、カニ捕獲用のもので、私の考えに連動して現れたのかも知れません。さらに、カニ以外にも、長いヤツが棲息しているようだ。これは何だろうと思うと、私の家がバランスを失い始め、私はズルズルと水中に落ち、その長く巨大なモノと面と向かって相対することになった。顔があり、今思い出すと、ゲーテアヌムのステンドグラスにあったアーリマン(だと私は解釈しているが定かではない)に似ているかも知れない。こちらを見ているその目は決して好意的とは言えない。諸星大二郎的な、人面獣っぽさもあったが、ともかく、暝い世界の顔であった。

どちらかといえば、怖く、不気味な夢である。自分の知っている身近な川などの水中世界が、実は驚くほど豊かで澄んだ水圏を形成していて、その中に巨大な魚(の群れ)を発見して喜ぶ、と言うパターンの夢を、繰り返し見てきた。ごく若いときから、「魚の夢」は私の心に深い喜び(癒しと言っても良い)を与えてきたのであった。その意味を深く調べたり、考えたりすることを、今の今まで怠けてきていたのであるが、今回は、明らかにそのパターンに変化が出ている。長いヤツは、ヘビの仲間だとすると、カニとヘビから私が連想することは、「脱皮」なのだった。

「脱皮」は、怖いものである。しかし、私は、夢の中で、その顔に正面から向かいあった。今自分の身に起きていることは(ここでは書かないが)、ある種の脱皮なのかも知れない。「脱皮」というものは、自分で望んで出来るというものでは無く、自分自身の成長と成熟を必要とする。人間の成長と成熟には、大きく言えば宇宙からの、小さくは身近な環境からの助力と促しが必要である。つまり、自分自身が直面する運命的なものを、感謝して受け取ること(こういう言い方はクサイかも知れないが、そういうものなので仕方がない)。

話が飛んだが、そういうわけで、今コロラド州デンバー界隈にいる。昨日の深夜、ホテルに着いて、割り当てられた部屋の番号が、911。今の自分の人生の展開の仕方を考えると、これも、偶然とは思わないことにする。もっと、まじめに、世界のことを考えて見ろということか。アフガニスタン空爆も、イラク空爆も、私には許し難い虐殺行為以外の何ものでもなかった。現代世界のグロテスクな貌(かお)を、もっとしげしげと眺めて見ろと言うのだろうか。私なりに、それを行うことは可能かも知れない。

さて、話ついでに、もうひとつ。

シアトル経由でデンバーに来たのであるが、シアトルでの乗り換えでうっかりして、予約した便を逃してしまったのであった。時計の設定が一時間ずれていたのだ(アメリカは国内で複数の時間帯があって混乱する)。これには大いに焦った。次の便に乗れるかどうか、週末で混んでいたこともあり、振り替えの席が見つからない可能性もあるとのこと。最悪の場合、シアトルで宿を取って、翌日の便に乗ることになってしまう。しかし、結果的には、次の便が取れて、しかも振り当てられた席がビジネスクラスだった。成田ーシアトルまでは、当然エコノミーの席で、足下が狭くて寝つかれなかったのだが、この席では熟睡出来て、実に快適だった。

アメリカでのフライト変更に伴うささやかな幸運は以前にもあって、前回アメリカに来たとき(911以前)も、整備不良のため、予約したフライトが翌日の便に振り替えになり、ホテルと食事券、着替えの下着を含む宿泊セットが支給されたことがある。その時は、滞米中、夏休みで空になった大学宿舎に泊まっていたのだが、空前絶後の貧乏環境で、ものすごいものだった。食事も、基本的にハンバーガーとかで済ませていて、ともかく、貧乏旅行に徹した。それが、フライトアクシデントのせいで、シェラトンだったかの高級ホテルの腰以上の高さの高級ベッドで寝ることになり、しかも、食事券でボストン名物のロブスターとクラムチャウダーにありつけたのだった。ちょうど、父親が亡くなって一年程経った頃で、あまりに自分を労らない息子をかわいそうに思ったオヤジのいたずらか、などと、「非科学的」なことを考えたものだった。


  1. 2006/07/02(日) 23:59:43|
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