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気楽の思想





先日、F県の霊的治療家に会いに行って、同行者ともども、手当をしていただいた。その余韻も有り、この週末は、シュタイナーの「いかにして・・・」を読み返した。

正確には、その前に、この週末はその治療家の先生の著書を読んでいて、その著作にも「いかにして・・」が参考文献としてあげられていたのであった。その方は、特に誰かに師事すると言うこともなく、いわば独学で目覚めた人で、私はweb上で知っていたわけだが、その当日の昼まで、実際に会いに行くことになるとは思っていなかった。車を飛ばして、夕方に治療院に着いたのだが、その直前にコンビニのベンチで休んでいると、夕べの田園風景の中で、不思議な安堵感に包まれた感じがした。既に治療が始まっているのでは無いか等と、同行の者と話したりした。詳しいことは、いずれ書くことが出来るかも知れない。一言だけ施療時の印象を述べてみると、神仏の衆生への愛というものは、きっとこのようなものなのではないか、ということだった。現代の日常の中では容易に巡り合えるものではない。唐突だが、昔のインディアンの村などには、こういう長老がいて、共同体の霊的な安定を保証していたのではないだろうか等と思ってしまった。と言っても、別に宗教団体を主催しているわけではなく、自宅の一室が治療所として使われているような、全く質素なものである。謝礼も保険がきかないことを考えれば、普通の病院でかかる治療費と同じか、場合によっては安いくらいなものであった。今思い出してみると、治療院周囲の地形は、丘や森が迫るなだらかな田園で、昔訪れたゲーテアヌム(シュタイナー人智学の総本山のようなもの)のあるスイス・ドルナッハにも共通するものが有るかも知れない。静かな、心安らぐ場所だった。

「いかにして・・」は一気通巻に読み通してみると、極めて劇的な構成になっていることに気付かされる。締めくくりは、ひとつの最終的な解脱を迎えた人間の取る道が二つに別れるという話。自分一人が救われてしまう道もあるが、再度、「共苦」の世界へ帰ってくる道もある。前者は黒い道で、後者が白い道である。白い道とは、世界に一人でも不幸な人がいる限り、この世に戻ってきて、救済のために働くという選択であると言う。シュタイナーの同時代人、宮沢賢治が日本の岩手県で全く同一のことを言っているのは、覚者にとっての真理がひとつであるという証拠なのだろう。

少し旧いが、「ユリイカ2000年5月号」がシュタイナーの特集号で、高橋巖先生も対談している。さっきそれを読み返してみて感じたのは、自分などは、人智学=原理主義者であり、今となっては旧いタイプかも知れないと言うことだった。高橋先生は人智学の「脱神話化」を話題にしている。それは誰でもが考えることであろう。霊的な問題を物質世界の言葉で語ること自体がはらむ困難が、このような問題を後に残すわけだが、当時の四面楚歌の状況下であくまでも論理的な記述に終始した「いかにして・・・」から受ける印象は、一見、命題・定義・定理・系等々の数学的形式性による体系に近いものがある。しかし、このような形式主義こそが物質界を超えたイデア的存在を記述する上で、もっとも適したものであることも事実なのである。そして、このような形式主義的な記述によって破綻を来さず、むしろconsistent(首尾一貫している)であることが、イデア的、有機的実体の特徴でもある。そのような迫力を持って、霊的世界、人間の本来的な霊性を記述した本書は、やはり、人類史に残る名著の一つ。

私にとって、もう一人の大切な思想家・実践者である野口晴哉についての永沢哲氏の労作「野生の哲学ー野口晴哉の生命宇宙」については、書くエネルギーが無くなった。私などが知らなかったことがたくさん書いてあり、あらためて、すごい人だった(二十世紀の偉人だった)のだと再確認したことだけを記しておこう。

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  1. 2006/05/28(日) 14:02:41|
  2. オルタナティブな身体|
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湿った風の吹く朝

最近、仕事の方が有る意味充実していて、ブログを書く時間がなかった。それはそれで良いことだと思う。いわゆるオンとオフの切り替えがうまくないので、今日も職場に出て、残りの仕事を片づけたいところだが、ぐっと我慢することにする。

池の住民を増やしたいというのが願望だったのだが、魚取りに出かけるには、少々天候不順で、今日も風が強い。最近、週末はいつも強い風が吹いているような気がする。風の音、木立のざわめきを聴いていると、神秘的な気分になる。湿った風の匂いも好ましい。風は遠い過去から吹いてくるようだ。

勉強をするか、家で仕事をするか(論文の改稿、締め切りの近い書類作り、等々)、庭仕事をするか、魚取りに出かけるか。多血質のため、放っておくと、やりたいことが多くて、手がつけられない。水泳にも行きたい。さて、どうしよう。

そういえば、最近、おかしなことがあって、職場で、気がついたら、真鍮製(だと思う)の鍵が真っ二つに切断されていたのだった。鍵を使ってドアを開けたときには、全く気がつかなかったのだが、帰りに施錠しようとして、見ると、キーが中ほどから破断して、先が無い。破断した先端は、そのまま、錠の穴の中に残っていた。キーを使ってドアを開けた時には、普通の感覚で、何の抵抗感も無かったので気がつかなかったわけである。金属片(鍵)の破断に必要な力が加わった場合、作用反作用の法則により、私の筋肉にもその分の力が加わっていなければならず、私の神経もその抵抗感を感じなければならないわけで、ほとんど力を加えずに、金属の鍵が破断したのは、昔流行した「スプーン曲げ」現象に近い感じがする。その時、妙に「気の充実」があったので、そのせいか、なんて思ったりもしたのだが。しかし、こういう現象は、普通再現しないのが本質だと思うので、こうしてブログにでも記録しておくのが、せめてもの慰めであろう。


  1. 2006/05/20(土) 09:02:39|
  2. 日誌|
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今朝のビオトープ

今朝のビオトープ

今日は雨。フナが落ち葉の下に隠れています。


  1. 2006/05/07(日) 07:32:32|
  2. 庭仕事|
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ビオトープの作り方

穴

まず、庭に穴を掘る。この例では、バスタブ位の大きさで、深さは、最深部で60cm程度。浅瀬も作っておく。これだけ掘るのに週末などを利用して、3週間位かけました。スコップと、鍬(くわ)で。最後には水を入れて、土を柔らかくして作業性をよくしました。水の量が適当であれば、泥んこ遊びにはならないですみます。

穴にビニールシートを敷く

穴の底を均(なら)し、形を整えてから、ビニールシートを敷く。
ここでは、厚さ0.5mm、幅2.3mの農業用の透明シートを10m程(千円ほど)買ってきて、三層にして使用。農事用のプラスチック製の土釘(要するにこのようなシート類を土に固定するもの、一本19円)で、シートを固定します。

シートの端を適当に処理し、水を張る

シートの端を適当に処理して、水を張って行く。シートの覆う高さで、水位が決まってしまいます。水を張りながら、シートへの土釘の打ち方・位置を調整します。クギ穴から水が漏れるので、釘は、あくまでも、池の上端だけに打つことがポイントです。水を少しずつ入れて、シートの張り具合を釘の打ち方とともに、調整していくわけです。シートは多少伸びますが、あまり張力がかからないようにうまく、皴(しわ)寄せて行くのがコツ。

完成!

完成!

採取

水草(名前は?)、フナ二匹(中、小)、タニシ多数、ザリガニ(微小)等、用水路で採取し、池に。



  1. 2006/05/07(日) 06:54:06|
  2. 庭仕事|
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