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池作り

先々週あたりから、池作りに挑戦。
未だ完成していませんが、池のほとりの木陰で読書できるようにしたい。
連休になったら、作業再開のつもり。
現状では、ビニールシートが小さかったために、穴の深さの割に水位が低くて、池らしくないです。穴は、子どもがほとんど掘りました。
でき上がったら、水草や、浮き草、魚、等々、近在の水郷で採取してきて、ビオトープっぽくしたい。出来上がりは如何? 猫も心配。
猫も心配



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  1. 2006/04/30(日) 18:11:45|
  2. 庭仕事|
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心を込めたもの

日曜の深夜、と言うより、既に月曜だったが、車を走らせながら、"Viktoria Tolstoy - My Swedish Heart(スウェーデン人としての私)"を聴いた。これは傷ついた人の心に沁み入るような音楽ですね。そして、どこか励まされるものがある。ビクトリアさんは、御茶ノ水のディスクユニオンの紹介文によると文豪トルストイの末裔とのことですが、愛とエネルギーに満ちた人なのだと思う。色々な曲が入っていますが、ロシア歌謡みたいな旋律の親しみ安さと哀愁があるものが好きでした。ピアノ、トロンボーンのパートになると、紛れもなく「真性ジャズ」で、 Round About Midnight に聴くにふさわしい。

何であれ、心を込めたものには、人の心に届くものがある。例えば、心を込めて掃除されたトイレには、訪れた人を厳かな気持ちにさせる力があると思ったことがありませんか。




  1. 2006/04/25(火) 06:56:14|
  2. クラシック・ジャズ・音楽|
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時間を湯水のごとく・・・

実は未だに、ニーチェ「善悪の彼岸」を読んでいる。つまり、読み終えていないのだ。しかし、毎日のようにニーチェさんと付き合ってみて、この人の偉さ、良さがようやくわかってきた。N氏は命がけで闘っているのだ。
現代は、まさしく、N氏の見た通りであることは否めない。凝ったロジックから真意を読み取ることが難しい場合も多い。しかし、時代と誠実に向き合うと言うことがどういうことなのかを教えられる。省みるに自分の人生は、弱々しい妥協の産物であることは確かだ。しかし、「隠れて生きよ」とはエピクロスの教えでもある。

話は卑近になる。最近は私的な都合で、土曜も職場に出て働くということが無くなる。これは良いことであった。時間を湯水のごとく使わなければ、数学は(あらゆる価値のあるものは)ものにならない。N氏の情熱的言説は、時代との付き合い方を教えてくれる。「グローバル化?」が進んだ日本の研究世界では、研究自体よりも「研究の運営」の方が重要になり、愚かな時間が増えに増えている。この先どうなるのか、見当もつかないと言う人が多い。

シューベルトのピアノトリオ2番を聴きながら、少しばかりは悲壮な人生も、美しいか、なんて、何の脈絡も無く、思ったりして。


  1. 2006/04/22(土) 09:28:16|
  2. 日誌|
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散歩

朝

朝の散歩道で。
スミレの咲く坂道を降って行く。
土砂採取場として切り倒された山林の近くで、オオタカのつがいを見る。


  1. 2006/04/22(土) 07:52:02|
  2. 自然観察|
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マタンゴを食べた夜

マタンゴその1

まずマタンゴを採取します。

マタンゴその2

これがマタンゴの内部。見たところ、それほど気持ちのよいものではない。

マタンゴその3

わーい。今夜は好物のマタンゴ汁だあ。




  1. 2006/04/16(日) 21:18:21|
  2. 料理・食事|
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ニラ帝国の逆襲

ニラ


今年は、土地の有効活用と言うか、何か、分からないが、衝動的に、野菜作りを始めることにした。色々と、生き方について、反省していることの反映でもある。毎年、芝庭(もはや雑草に負けて、ほとんど芝は無い)の草むしりが大変だが、この際、もっと、積極的にやりたいという気持ちもあるし、また、食費も多少は浮くであろう。

以前、子どもが幼稚園かどこかでニラの種をもらって、文字通り、ただ、庭にまき散らしたことがあり、それが今では、毎年花を咲かせ、種をまき散らして、そこかしこに雑草に混じって生えている。
昨日、肉ニラ炒めにしてみたら、普通にうまいニラであった。

小さな菜園をいくつか作りつつある。先住民ニラに敬意を払い、雑草だけ除いて、残しておく。二十年以上以前、有吉佐和子の「複合汚染」という新聞の連載小説の中で、ニラを同居させておくと、作物の防虫になると書いてあったような気がする。


  1. 2006/04/16(日) 15:22:33|
  2. 庭仕事|
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アミガサタケの出現

アミガサタケ2006-4-16-a


庭に出現した宇宙からの訪問者。
子どもが発見しました。
素晴らしい造形ですね。
ちょうど、ここ数日、子どもがキノコの図鑑を見ながら絵を描いていたのですが、キノコは秋のものだと思っていたので、まさか庭先にこのような希人の来訪があるとは思いもよりませんでした。
春のキノコで、フランスでは重用されるらしい。
三本生えていました。
一本は、不注意な散歩者(ヒトかネコか)が踏み倒したらしい。
残り二本、今夜のおかずです。
内部は空洞になっています。
フランス風に、バター・赤ワイン・ニンニクでソテーするか。
素朴に割いて焼き、醤油で食すか。
楽しみです。


  1. 2006/04/16(日) 14:40:03|
  2. 庭仕事|
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ともかく論文着手のこと

このところ、雑用(注)ばかりで、まともに研究仕事をしていなかった。慣性がはたらいて、戻るのに少し抵抗がかかる。新論文に着手することだが、また、データいじりから始まる。

勉強の方は、少し進展する。色々と視点が定まらないような感じは消えたと思う。非線形科学のための、力学系とその基礎付けに役立つ部分ということで。

この四月は、返事待ちの仕事が多い。待っている間に、はたらこう。

愛用していた手帳を使い切ったので、新しいものを買う。以前と同じもの(400円くらいの少し大きめのメモ帳みたいなもの)が見つからなかったので、迷っていたが、上野駅の無印良品で見つけた、半透明のカバーのついたやはり少し大きめのメモノートみたいなもので落ち着いた。手帳カバーというのが、少しこれには小さめだったが、見つかって、気に入る。筆記具と手帳が一緒になるのは便利。金ラメのボールペン(これが勉強・読書用マーカー)、柔らかゲル・グリップのボールペン、シャープペンシル、付箋用紙(大+小)、シャープペンシルの芯などが、一緒にまとめられた。ここに下手な字で、論文の計画を書き込む。宮沢賢治も字は下手だったのだ。ノートにペンで書いた方が、パソコンで書くよりも実体感・物質感があって、俄然良い。余談だが、ボールペンは、同じ製品シリーズでも、色によって書き味が大きく異なる。顔料等によってインクの粘性が異なるせいだろうか。色々な色のボールペンをもう少し買って、仕事に使うつもりである。


  1. 2006/04/12(水) 10:40:24|
  2. 研究生活|
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職人の店

私は普通、珈琲はクリープ(またはクリーム)と、微量の黒砂糖を入れて飲むのがうまいと思っていて、ブラックでは飲まないので、余り本格ではないのかも知れません。
以前も書いたように、少し離れたところに、買いに行くとその場で生豆を焙煎してくれる店ができたのだが、やはり、おいしいです。ただ、その店のマダム(と言うか、おばさん)が、じっと客の目をにらむのです。店に入った瞬間。それから、店を出るとき。それが、私のような、気の弱いオヤジ客にはどうも、気ぶっせいでいけません。何か悪いことをしてはいなかったか、自問自答してしまいます。もちろん、そんなことはない。要は、マダムが、職人であって、「私の珈琲の味わいがあなたに分かるか?」と問いかけているのであろう。ただ、客商売としては、余り褒められたことではないので、マダムは奥で焙煎にいそしみ、接客はアルバイトのおねいさんにでも任せた方が良いと、よけいなことを考えた。つぶれて欲しくないので。しかし、二年は続いているようなので、固定客がやはり多いのかも知れない。怖いけど、また買いに行くつもりである。


  1. 2006/04/06(木) 07:32:05|
  2. 料理・食事|
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未だ審査

未だ審査の作業が終わりません。
辛いです。
でも、ある意味、研究資金の必要な研究者なら、これはお金を払ってでも一度は経験してみるべきことであると、今日、気づく。ともかく、予算申請書類の書き方について、ものすごく勉強になるのだ。一番のポイントは、『研究分野の異なる審査官にも分かるように書く』、と言うことなのだ。普通、審査官がどんぴしゃりの分野の人だけで構成されることはあり得ない。当該分野はもとより、異分野の審査官からいかに高い評価を得るかが、当落の境目なのである。次の予算申請は、勝算が濃くなってきたと思う。もちろん、私はその際は審査される側で、この辺は全く厳密に公正な制度ができあがっているから、ご心配無用です。

非常に興味深い研究計画の申請もありました。こういうものも、やはり一種の「作品」であり、人柄・研究態度が出てくるものだと思う。著名雑誌(Scienceとか)とかに論文が載ったからと言って、それだけでは(予算獲得に際しては)ぜんぜん駄目だと言うことが、自分が審査官になってよく分かった。やはり、慢心が出ているものは勝ち残れない。Nature一報で十年は食えると言う話を聞いたことがあるが、あれは、嘘ですね。現実はもっともっときびしい。アフリカの野生動物並みの生存のための戦いの場ですね。「鬼婆」ほどではないにせよ。


  1. 2006/04/05(水) 20:03:34|
  2. 研究生活|
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Applied Theosophy (Anthroposophy)

応用物理学と言って、理学的物理学とは区別して、工学的な応用を視野に入れた物理学の一分野があるのだが、いわば、天の理(イデア的な物理学)を地の生活に結びつけるようなものである。最近、筑摩書房から出ている高橋巌訳「シュタイナー・コレクション」を少しずつ読んでいる。人智学協会員に向けての講演を筆記したものが多いらしく、極めてesoteric(秘教的)な内容で、語り口は平明なのであるが、内容自体は一般の人には、敷居が高いに違いない。シュタイナー初期の著作「神智学」「いかにして・・」等書かれた時点では、未だ、一般に公開しないつもりでいた内容が、ここでは述べられているのではないかと思われる場合が多い。

私などが読む場合、要は、実人生にいかなる形で活かされるかに尽きるわけである。高橋先生ははっきりと「道具」と呼んでいる。つまり、いかなる形にせよ使わなければ意味がない。「大いなる勘違い」の可能性は極めて高いにせよ、躊躇しないで試行錯誤すべきなのだ。つまり、数学・抽象性の高い物理学について、整理していければと思う。それにしても、春の空気はうまい。



  1. 2006/04/05(水) 08:07:21|
  2. 日誌|
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審査

自分としては初めての経験だが、国の研究予算の審査をしている。
自分自身一度応募して、最終面談まで行ったものの結局駄目だった助成機関のもの。審査の作業は実に時間がかかる。今日中に終わりそうにもない。自分の経験から言っても、もちろん、いい加減な審査はされたくないわけで、自分の時間が無くなるけれど、こういう仕事もてきぱきできる人が、有能な研究者なのだろう。集中力が欲しい!
科学技術としての挑戦性だけではなく、実際に産業化に結びつくことが条件とされる予算なので、私自身の嗜好だけに左右されないように注意しなければならない。それは少し辛い。しかし、私自身の嗜好ももちろん入る。それは、申請者自身の個性が滲み出ているものを推すと言うことである。社会的ニーズ(必要性)や従来技術からの論理的帰結・発展として出てくる(新)技術よりも、その研究者自身の奇妙な発見や、発想、そして、もちろん深い経験が反映している方が、面白くもあり、将来性があるはずだと思う。これらは既に膨大な数の書類審査を通過してきた選りすぐりの申請で、その中から最終的な候補を選び出すわけである。最終審査は、さらに審査委員十人弱が実際に集まって、話し合いになる。大変だが、これだけ公正なシステムを作ったのは偉いし、申請の苦労に見合うだけの審査の労力もかけていると言うことを今回知った。

昨日、この春初めてサシバ(猛禽、タカの一種)を見た。散歩の途中、いきなり、頭上を脅かすように目前の木立から悠然と飛び立ったので、間近にその美しい姿に接することができたのは、望外のうれしさ。実は当日、二羽見ていて、別の方は、野池の茂みから飛び立って、森の向こうに消えていったのだった。

P.S.
再び、「審査」の話。
正直なところ、優秀な研究者たちが、自分のイデアを実現するために、何とか予算を取ろうとして、時間を捻出し、本来の研究や勉強の時間を犠牲にして、書類書きに苦労している姿が目に浮かび、やるせない。
レオナルド・ダ・ヴィンチなどの時代にも、パトロンを得るために、学者や、芸術家は苦労したのだろうか。民主主義の時代になって、こういう形(公平な応募・審査)が定着し、すべての研究者に等しく機会が与えられるのは、良いことに違いない。しかし、民主主義(他に適当な呼び方を知らないので、こう呼びますが)は、実に、時間と労力がかかる。この際くじ引きにしちゃったら、なんて、ふざけたことを考える。
十年単位くらいで見ると、書類書き・審査などに費やされる時間と労力が研究に戻る分を考慮すると、最終的な研究成果の「期待値」は、むしろ高くなったりして。審査の作業をさぼり、少しだけ、朝の続きの数学の勉強をしてみる。新鮮な空気を吸ったような気分だ。こっちが本当なのだ。


  1. 2006/04/04(火) 15:28:16|
  2. 研究生活|
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半世紀

ついに、この四月で、五十歳になってしまった。
ともかく、ここまで生きてこられたことを感謝したい。
私の場合、まず、生存というのが、大前提で、これが全く当たり前ではない。文字通り、ありがたい(有り難い・在り難い)ことであるという、気持ちがある。この世に生きることの大変さを学んでいたようなものだった。親が大事に育ててくれたので、世の中の大変さを知らないで、大人になってしまったので、その分、世間に馴染むのに時間がかかったと思う。生きているだけで、すごいことであると、真実思っている。それ以上は、すべておまけだと言うのが、去年の私の感慨だった。しかし、子どもの頃から、「おまけ」というのは、うれしいものである。

ともかく、両親(父は既に他界したが)と、兄弟、妻、子どもたち、仕事の仲間、少ない友人、地球、太陽、黄道十二宮などなどに、感謝の気持ちを捧げたいと思う。この後、九十九歳まで生きて、大きな仕事を成し遂げるつもりなので、身体にも気をつけつつ、頑張って行きたいと思う。

この歳になると、人にどう思われるかなどは、余り気にならなくなってくる。どのように思われようと、誤解されようと、そのために自分の本質が損なわれるわけではない、と言うよりも、人と分かり合えることの難しさが骨身に沁みているので。しかし、それでも、人に期待し、人と関わり、何となく豊かな、時には楽しい感じを育んでいきたいと思っている。全く勉強不足で、恥ずかしい限りであるが、それを恥ずかしがらないで、堂々と無知の自覚を大事にしながら、勉強を進めて行こうと思う。まだまだ小学生みたいなものなのだ。


  1. 2006/04/04(火) 11:25:46|
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《家庭内名画座》新藤兼人「鬼婆」(1964東宝配給)+スピルバーグ「激突」(1971)

楳図かずおの漫画で、「呪いの肉面」と言うようなタイトルのものを少年サンデーかマガジンで、子どもの頃、読んだ覚えがある。苛烈な性(さが)の殿に仕える能面作家が、どうしても殿の要求する真に迫った面が打てない。絶望の果て、ついに自分の顔面をそぎ落とし、面にして殿に献上する。殿はその鬼気迫るできばえをよろこび、自ら顔につけて能を舞う。しかし、その面は、殿の顔にぴったり張り付いて、どうしたって取り外すことができない「呪いの肉面」だったのだ・・・。
と言う私の記憶は、曖昧で、半分創作っぽい。

新藤兼人「鬼婆」も、何故か、子どもの頃、映画館かテレヴィかで、内容(予告編?)を見知っていて、子供心にも、すごい話だと思った。昔々の日本、お婆さんが鬼の面を被って悪いことをする。面をはずせば普通の婆さんなのに、この面を被ると何故か平気で悪いことができるのである。しかし、ある日、悪事の後、鬼の面をはずして、ただのお婆さんに戻ろうとしたのに、どうしても面が取れない。お婆さんはついに本当の鬼になってしまったのだ・・・・。

漫画家・泉某(名前が出なくてすみません。大介?)の名作「アームジョー」は、親が「ああ無情」の本を買ってくれたと聞いて、その内容を空想して興奮しながら家路を急ぐ少年の話である。少年の心の中で、「ああむ・じょう」は、なぜかアメリカ南北戦争時代(?)の力持ちの黒人奴隷「ジョー」のお話しで、少年はその悲劇的な結末まで空想して、泣きそうになるのであった・・・。

子どもだった私の想像した「鬼婆」と映画「鬼婆」も、「アームジョー」と「ああ無情」程ではないにせよ、確かに違っていたようだ。

南北朝時代の話である。ある意味、花輪和一の作品の雰囲気か。こちらの方が、最後まで救いは見えず、ずーーーっとしんどいですけどね。乙羽信子と吉村実子の義母子が、広大な葦原に迷い込んだ落ち武者を殺害しては、金品を奪うことで生計を立てている。そこに、佐藤慶の若者が入ってきて、夫を亡くした嫁の吉村実子と逢瀬を誓う仲になってしまう。それを知った乙羽信子の嫉妬が、彼女を真の「鬼婆」に変えてゆく。

不思議なのは、鬼の面が取れなくなってうろたえる乙羽信子の方が人間らしく、面も着けずに、嫁と生きるための凄惨な努力を続ける彼女の方が、鬼らしいことだった。

誰一人として、感情移入し易い人物はいないし、こんなことが事実だったとしても、知らないで済ませたかったと言うような、どうしようもなくきびしいこの世の地獄のような生活が描かれるわけである。ともかく、人間が極限的な状況で、鬼か人間か分からないような生き方を、それでも生きるとしたら、それをあなたは肯定できますか? と、作者は問うているのだろうか。

鬼の面を嫁に打ち砕いてもらった下から顕れたのは、もはや肉化した血塗られた鬼面だった。それを見て逃げる嫁。「ワシは人間なんじゃー」と叫びながら、追いかける乙羽信子・鬼婆。

林光の音楽は、この作品には少し明るすぎる気もする。初めの方に出てくるテナーサックスの演奏は、ちょうどアヴァンギャルドなジャズの流行った頃なのか、エリック・ドルフィー風にも聞こえるようですが、どうでしょうか。最後まで、見るのが、私には結構、きつかった。映画を何故見るのか、考えさせられるようなところがあって。

ここで力尽きたので、「激突」の感想は、また後で。


  1. 2006/04/02(日) 19:27:00|
  2. DVD・映画|
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別世界通信

昨日、脳と身体のリハビリのつもりで、まず、ジムで筋肉運動に没頭し、それからプール。昼飯時の市民運動公園は利用者が少なく、とても寛げる。これからは、この時間をねらおう。
プールも、昼間泳ぐのは、とても良いものである。
ゴージャスな作りで、総ガラス張り、マトリックス力学演習そのものと言える、鉄骨のラーメン構造。明るい光が降り注ぎ、石垣島・川平湾のように、どこまでも水は青く澄み切っている。これからは、エーテル体(注1)だけではなく、肉体も鍛えること。

帰宅し、遅い昼食を摂り、NHKで、「赤い翼シルクロードを飛ぶ」と言う番組を見て、感涙にむせぶ。子どもにさとられないように苦労した。矢野建夫(注2)という50過ぎのモーターパラグライダーに乗った映像作家が、シルクロードを飛んで、チベットの見るからに純朴そのものの人たちを驚かしたり、3800メートルの薄い空気の中で、パラグライダーで雲の中に入っていったりする映像リポートなのだった。
その後、日が暮れないうちに風呂に入り、6時過ぎに寝床に入って、目が覚めたら翌朝だった。十二時間睡眠した。これは、かなり、リフレッシュした。

そこで、blogも、見た目を変えてみた。
ブラウザーも、IEから、Operaに変えてみることにする。
これだけのことだが、世界が変わりそうな予感。

(注1)東洋のわれわれには、「気」として知られているもの。瞑想、気功、野口整体、レイキ(これは未体験ですが)等で体感できる。われわれの身体が、少し深いレヴェルでは、肉体に閉じこめられた狭い領域から抜け出した世界にまで広がりを持っていて、その状態が健康や気分に関わり(うっかり、『を支配』し、と書いたが、この言葉はそぐわないようだ)、さらにはもっと深い自己の存在領域への通路を開くものであって、シュタイナーの人智学などでは、エーテル体と呼んでいる。

(注2)昔、矢野健太郎という数学者がいて、受験勉強でも御世話になったが、「三千年遅れてやって来たイカルス」みたいな中年男と、関係ないのだろうか。数学者のロマンと、風を読み、風に乗るオヤジのロマンは、通底していると思われる。


  1. 2006/04/02(日) 12:45:12|
  2. 日誌|
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ウルトラマン・マックス終了

シネマ君に教えられ、放送回数の終わりちかくになって、ウルトラマンマックスを見るようになったが、これは手放しで見事な作品だったと言える。日本の映画(テレヴィ)人、やるじゃないか、という感じだ。前にも書いたように、コンセプトとしては、「スタートレック・ザ・ネクスト・ジェネレーション」へのオマージュみたいなところがあるし、先週の終わり方など、まさしく、「エンタープライズ号」のワープ航法の表現(シュッと消える)を引用したりしている。しかし、その主張は、「戦後民主主義」日本ならではのものであって、おそらく、世界中のどの国でも、こういう内容・真意の作品は作ることができなかっただろう。未来を担うべき子どもたちへのメッセージ性が極めて強い。平和主義、と言うよりも、ウルトラマンの存在自体が「宇宙人」と言うことになっているけれど、あからさまに宗教性(救済の光)を帯びている。子どもにも面白いだろうけど、ある種の大人(オタクではなく)が見ると、感涙でむせぶようなところがあるのですね。これは「時をかける少女」で実現されたような「傑作空間」が21世紀初頭の日本にまた出現したと言うことですね。

DVDが出たら、レンタルで初回から見ようかと思う。


  1. 2006/04/01(土) 08:21:57|
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