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「死後の世界」を書く予定だったが、息切れして、「荒川静香は菩薩である」

ここ二週間ばかり、週末も含めて余裕がなく、ブログの更新も滞ってしまう。
特に、接待とか、人と会ってへヴィーな話をするとかが重なったせいもある。
義理で出たコンパなどというのもあった。しかも、酒が飲めない(帰宅時にどうしても車に乗るので)のであるから、面白くないのは当然か。

そうそう、トリノ五輪のせいもあるね。
荒川静香のフィギュアスケートは「天女様の舞い」としか言い様が無く、なにか神々しいものさえ感じさせて、素晴らしかった。ハーフパイプとか、スノーボード大回転とか、エニックス・スクエアのゲームの世界に出てくるキャラクターにこそふさわしいような、おじさんにはついていけないスピードと反重力的世界観の競技を毎晩のように見ていたので、余計にその印象が強かったのかも知れない。小泉首相が例によって、わざわざ電話をかけて荒川選手の金メダル受賞を祝福していた。小泉氏には首相としての善意と義務感はもちろんあるのだろうが、もう一方で、国民への自己宣伝に利用するという面も当然ある。そういう何か不純(小泉不純一郎)なものも、高貴なる荒川選手の精神は、自然に受け流してしまっていた。もう一人、村主選手の演技もすぐりていましたね。安藤選手は少し自分を見失っている感じかな。

大人の相手は疲れる。下手なだじゃれを言うから、ではなくて、一昔前の青春ドラマ等で、「大人なんて、みんな不純だわ!」とヒロインにほとんど理由もなく忌み嫌われていた例の「大人」である。青春ドラマのヒロインの直観は正しく、世の中には、「俗世間の王」みたいな大人がいて、そういう人としばらく一緒にいただけで、何か自分が汚れてしまったような気にさえなるものである。そういう人物は、単純に悪人には見えないので難しい。ただ、「俗世間で如何にうまくやるか」だけが、そういう大人の価値観のすべてあることがだんだんわかってくる。出来るだけ関わらないほうが良いが、仕事と割り切って付き合うほか無い場合もある。

今日は、午後遅い昼食を摂ってから、軽く昼寝のつもりで横になったのに、目が覚めたらすっかり日が暮れていた。やはりいろいろな意味で体が睡眠を求めていたらしい。シュタイナー言うところの、マクロコスモスでの充電が必要だったらしい。そういうことで、何か大事なことを書くつもりだったが、この辺でやめておきます。

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  1. 2006/02/25(土) 22:44:45|
  2. 私にとって大事な非常識|
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言わずもがなの世界

今日は、義務的な仕事で、東京に出て、研究の宣伝など。
「云わずもがな」と言うことがあって、正確な意味は、おそらく、(a)わざわざ云わない方がよいこと、と言うことだろう。転じて、(b)当たり前すぎて、云わなくても良いこと、と言う意味もあるのではないかと思う。辞書を引く方がよいが、今は電車の中で、ネットの速さも遅いので、さぼることに。

「言わずもがなのこと」というのは、話す・或いは聴く個人にとって、それぞれ異なる。ブログなども、自分にとって重要なことを自分のために書くというスタンスを貫いたとしたら、誰にも分からない内容になるかも知れないし、何年か後には自分にも分からない、メモのようなものになってしまうかも知れない。日常の会話でも、逆に当たり前のことばかりしゃべられても、楽しくはない。情報量とか、情報の新鮮さとかが欠けていたとしたら。

人に自分の研究を話すというのも、自分にとって新鮮なことばかりを話すわけにはいかない。自分にとっては当たり前で、何十回人に話したか思い出せないくらい繰り返し話したことを、また話さなければならない。その中によろこびがあるとすれば、相手の反応が良いこと、これに尽きるわけで、相手の心に少しでも響くものがあれば、苦労は報われる。こんなことこそ、当たり前すぎて、「言わずもがな」なのだろうが、モバイル環境実現のせいで電車内でブログ書きが出来るようになったのを記念して、書いておこうと思う。

と言うのも、ある国立大学学長の講演を聴いて、同じことを感じたせいである。
これは学生向けに準備した講義群の内容の紹介だったのだが、今では、入学した学部生のために、如何に親切に入門的な講義が準備されるかを知らされる。われわれが大学生だった頃と比べて雲泥の差がある。専門家の「言わずもがな」の世界を如何に素人に伝えるか。さらに、専門家になるためのモーティベーション(動機付け)を如何に高めるか。よく考えられていて、ノーベル賞受賞者まで動員して、われわれが聴いても面白い話に仕立てているのは、感心させられた。

ただ、重要な点で、これでよいのかと思わされたのは、研究の社会性ー要するに、如何に今の社会(地球環境)が工学的なイノベーション(発明・工夫)を必要としているか、が基本的なトーンであったことだった。学長が工学部出身なので、それでも良いのかも知れない。工学部学生に向けてのものであったのかも知れない。しかし、それ以上に、現在の理科系の研究環境が、小泉政権後とくに顕著な、実用性の追求に向かっていることを反映しているのだろう。学長自身も、意図するしないにかかわらず、その潮流のただ中にあるはずだ。

今回知ったことは、一昔前までは、全く実用などは考えられないような理学的な研究を進めていた同僚の多くが、最近は応用的な仕事で糊口をしのいでいると云うことであった。応用可能性の中に、確かに現象としては面白いことは多く発見される。しかし最近は、その背後の物理や化学の探究がおろそかになっている傾向が顕著ではないだろうか。

ただ、歴史的に見れば、21世紀初頭の現在、基本的な大発見は50年以上滞っており、応用で活路を見追い出す時代が、これからもしばらくの間続いたとしても、それはそれでよいのかも知れない。その中から、本当に新しいことが姿を現さないとは誰にも言えない。

「白い巨塔」の大河内教授や里見助教授のような、殉教者的でさえある「学問への純情」を保つことは、もはや時代遅れであって、昨日のNHK番組「ザ・プロフェッショナル」で取り上げられていた東大助教授が主張していたように、「科学はスポーツだ」というスタンスが、「もっとも望ましい科学者のすがた」なのであろう。そこでは、記録更新、世界初、・・・、等々のギネスブック(注1)的な価値観が支配する。つまり、大衆にも分かる価値観が支配する世界に違和感を覚えない研究者が、良い研究者。

しかし、「無限の概念」をとことん追求して発狂した孤高の数学者、カントールのような人が、やはり現代でも、われわれの気がつかない、どこか世界の片隅で、ひっそりと息を殺して仕事を進めている。本当は、そうなのだ。テレヴィも、学長も、嘘つき。騙されては、いけません。

(注1)ビール屋の余興

水辺にて




  1. 2006/02/15(水) 18:23:23|
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山本薩夫 「白い巨塔」(大映、1966年)

「ただいまより、財前教授の、総回診が始まります」

この映画の見所は、なんと言っても、加藤嘉(大河内教授)の「札束蹴散らし」シーンでしょう。「ワシをなんと心得る。いやしくも日本学術会議副会長、浪速大学教授、・・・」という、大時代がかった台詞が格好良く決まる。素晴らしかった。私はこの映画で、加藤嘉と言う俳優を発見したような気持ちになった。冬休みに見た「砂の器」(野村芳太郎監督、1974年、松竹)でも、加藤嘉(ハンセン氏病で村を追われる主人公の父)の号泣シーンが終盤のクライマックスでしたが。滝沢修にせよ、小沢栄太郎にせよ、昔の日本にはすごい俳優がいたのですね。田宮二郎(財前助教授)は、「悪霊に取り憑かれた男」というコンセプトで役作りをしたのかも知れない。何よりも、眼を爛々(らんらん)と輝かせた「顔作り」がすごかった。

池野成という人の、ジャーン!!という感じの音楽も実に印象的ですが、昔、意識しないで見た日本映画の音楽がこの人だったという可能性も大きいかも知れない。昔の日本映画の重々しく息苦しい感じは、皆この人のせいだったりして。

ちなみに、「象牙の塔」というのは、ivory towerという英語もあって、翻訳語らしい。この映画が出来る前と後では、一般庶民の大学というものに対するイメージが違ってしまったと言うくらいに影響力が大きかったのかも知れないと想像しています。最近のテレヴィ版でも、このオリジナルの影響か、一部にワーグナーが使われていたようですね。

山本薩夫の作品では、市川雷蔵主演の「忍びの者」がもう一度みたい。


  1. 2006/02/14(火) 05:41:07|
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苦吟光

論文の書き直し作業に入る。
学会的には既に色々なところで発表した内容ではあるが、論文化するために見直してみる(昨日の日記を朝書いている)。一昨日は燃えたのだが、昨日は、停滞感を感じる。しかし、夕方になり、少しだけ進展。第一稿は、ともかく書くと言うことが大事なので、どんどん書いたのだが、ここで、不備な点を補い、完成させてゆく。解析が不完全で、ごまかしていた部分である。ともかく、時間がかかる。本質に自分の心が到達するまでには。そういうものだと思った方が身のためだ。有能なビジネスマンみたいな研究者にはなれない。今日は家で作業の続きをするつもりだ。

ここまで、トリノ五輪の開会式を見ながら書いているのだが、ショウ化されたオリンピックには少し食傷気味。おじさんにはついて行けない感じがある。もっと、伝統芸能みたいな古式ゆかしい感じが欲しい。スポーツマンの心性には、きっと古代的なものがあるはずなので。音楽もビジュアルも、安物のディスコ(死語)みたいだ。こういうのが性に合わなくて、照れながら行進に参加している選手もいるんじゃないかな。スポーツなんて、本当は、もっと地味で、自己満足的で、孤独で、悲しいが、突然歓喜が訪れる場合もある。そんなものだったのではないか。少し昔までは。そんな競技が今でも、どこか、マスメディアの目の届かないところで、ひっそりと存在しているに違いない(埼玉・戸田オリンピックボートコースとかに)。


  1. 2006/02/11(土) 09:08:15|
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川島雄三「幕末太陽伝」(日活、1957年)

昨日は、電話をかけまくって、大きい予算を取るためのファンドの可能性について、何人かの人と意見交換した。ともかく、一歩前進。

発明者(発見者)は、それが社会化した存在になるまでの義務を負う。つまり、発見なら、論文化して、世界中の大学や図書館に貯蔵(死蔵?)され、世界とその新知識を共有することができるところまでは、働かなくてはならない。それが最低限の義務である。発明の場合は、それが人類にとって役に立つほどのものなら、実用化されるプロセスにのるところまでは、持って行く義務がある。そのためには、出来る限りの努力をする。大きな予算を取って、本格的に実用化路線の研究「も」進められる体制を作る(方向性を見出す?)のが今年の課題だと思う。

(ここまで、Helene Grimaudという女性ピアニストの演奏で、ラフマニノフ「ピアノソナタ第2番」を聴きながら書く。未明の静けさにふさわしい響き。Brilliant Classics)

中断していた論文の改稿・再投稿がようやく完了。
ジャーナルのweb投稿システムに問題があって、論文(word書類)が、数式エディターで作った数式を含むせいで、pdfファイルへの変換が微妙に失敗して、午後一杯苦労してしまう。Macユーザー固有の問題かも知れない。windowsからの投稿では、問題がない可能性もある。やはりwindows「も」導入すべきか。今日からは、次の論文に取りかかる。

「幕末太陽伝」は観たと言うこと自体が大事で、何よりもその事実をブログに記録しておきたかったのである。映写の初めに「映画再開3周年記念」という大きな文字が飛び込んできた。つまり、敗戦後、日本が米軍に占領されて、映画の撮影配給が禁止された状態が十年近く続いていたことになる。映画というのは、シネマディクト氏が研究しているように、アメリカと言う国家にとっては、世界支配の道具(粗雑な言い方ですが)でもあるので、その取り扱いには当時から細心の注意を払っていたわけだ。

「居残り佐平次」という落語が元になっているらしい。
今まで気がつかなかったが、私のDVD再生システムのアンプの設定を最適化すると、この時代のモノラル録音の映画でも、意外にきれいな音が出てくる。低音も迫力があって楽しめた。南田洋子、左幸子。子どもの頃には既に「おばさん」年代の女優だったが、映画のなかでは、若く美しくて、人間の一生を垣間見たような気持ちになる。最近、こういう感慨を感じることが多い。

自分の才覚とエネルギーの限りを尽くしてともかく生きようとする佐平次(フランキー堺)にはなぞめいた部分があり、一方で、米国大使館(異人屋敷)爆弾テロを画策する高杉晋作(石原裕次郎)率いる攘夷派グループのエピソードがあるため、ひょっとして幕府の隠密か何か、と思わせるのだが、さいごに判明するのは、彼が一歩先んじて「開化」した個人だったと言うことであった。ちなみに、高杉(裕次郎)は植民地化された上海を見ており(史実は知らないが)、日本もああなってはならぬと語るシーンがある。攘夷派は常に大声で語り合い、とてもおかしい。テロリスト侍グループの異人館襲撃は佐平次の機知により成功して、上がる火の手を遊郭から見物する幕末・江戸の庶民は大喜び。

労咳(子どものための注:結核のこと)が進行して、ふらふらになりながらも、「俺は生きるんだ」と叫んで、品川を出発、冬の冷え冷えした海岸沿いをどこまでも駆けて行くラストシーン。物語終盤に現れる千葉のお大尽(市村俊幸)が太った死に神のようでもあり、また強引な暴力性も感じさせて迫力があるので、結局この人に取り殺されてしまうのでは、と冷や冷やさせられた後なので、唐突だが、後世のリドリー・スコット「ブレードランナー」のラストシーンにも通じる「脱出」感がある。

死から逃れることは出来ない。それでも人間は、自由への脱出(解脱)を試みざるを得ない。そういう人間の運命を寿ぐ映画。


  1. 2006/02/09(木) 06:55:47|
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霊感は朝来る

20年来研究してきた対象が、実用化に近づいてしまったので、ここ数年企業との結びつきが出来てきたが、企業からの研究資金の出資も期待したほどではなく、此のままでは、基礎研究と、応用研究の分裂に悩まされそうだ。先日の研究会で得た知識から、此のような場合に、ベンチャー・キャピタルから資金を得て、実用化研究はベンチャーで人を雇って進めるという手があると考えるようになる。基礎研究はあくまでも自分が主体で行い、それに基づいた実用化研究は、専門に人を雇って、集中的にやってもらう。その方が、つまらない予算申請や所内の人事で悩むこともないかも知れない。要するに、研究者のおかれた受動的な環境を打破するには良い。見えないところで決定される予算や人事に煩わされるのはもう厭だと言う気持ちもある。
ベンチャー資金なら、相手が見えるし、こちらの立場は能動的で、むしろすが清々しい。ベンチャー関係の専門家が近くにいるので、相談してみようかと思う。限られた時間の中で実用化を目指すには、それが一番良いかも知れない。
南海キャンディーズ風に




  1. 2006/02/08(水) 06:52:35|
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モナリザの苦笑

昨日、小さな研究会があって、久しぶりに母校に足を踏み入れたが、なにぶん今年一番の寒さとかで、噴水の周りにつららがぶら下がっていて驚いた。こんな光景は学生の頃も見なかったような気がする。昼食に「せんごく」で、ステーキ・ハンバーグを食べて、満足。こんな名前だったかどうか覚えていないが、なぜか、学生の頃よりも美味しく感じる。もっとレアだった記憶もある。

研究会では、社会科学系に転身した理科系出身の先生の講演を聴く。夜の懇親会で、社会科学系の方がいかに儲かるかということを聞かされる。講演料などの副収入がべらぼうなのだそうだ。金の使い道に困るとも言っていた。私はいつも偉そうなことを書いているが、こういう話に弱く、うらやましく思った。今日も電話で大学の人と話していて、いろいろと華やかな話を聞かされる。こういうときには他人が偉く思えるものである。生活に汲々としながら、かろうじて何とかやっている自分と、余裕綽々の彼らと。

そこで、少しばかり悶々としているうちに、自分にとっての財産とは何か、に考えが至るのだった。自分はなぜ、いつも、利益に直結するように振る舞ったり、時間をそのために用いたりしない傾向が強いのか。

それは、自分の真の財産が、此の「生きられる時間」だけである、と思っているせいだからではないだろうか。生きられる時間は限られている。50に近づいて、ようやくそういう自覚が出てきた。遅すぎるくらいだが。その限られた時間の中で、自分が知りたいこと、勉強したいこと、味わいたいこと、に時間を使いたい。やせ我慢っぽいけれど、8割方は真実こういう気分が強い。この世に生きている時間の貴重さ。

多忙な生活はごめんだ。外面的に多忙なのは。
要するに、本質的なことに時間を使いたい。
此の、「外面的に重要なことv.s.本質的に重要なこと」の葛藤が日々の生活の通奏低音みたいに鳴り響いている。今もまた、予算申請の締め切りが迫って来て、出すべきか、出さざるべきか、迷っている。昨年、一昨年は、予算申請でずいぶん時間を費やした。今年は、本質的なこと、研究自体と論文執筆に集中しなければと決意しているので、どうしようか。
過去の申請書類の使い回しで良いから、ともかく出しておこうかとも思う。

p.s. 仙台のかくさんへ
「もちべえ」、私はとても好きなのですが、かくさんの好みに合うことを祈っています。
東横インの件は、マスコミの取り上げ方が、少し偽善的なにおいもしますね。「東横イン問題」への言及の仕方が、一種の踏み絵みたいになっている感じは厭な感じではありますね。頭の良い人(茂木健一郎氏とか)は、いち早くブログで糾弾していましたけど。
背後にあるのは、日本が今、過剰に競争的な社会になっていることで、競争に勝つことが生き残ることであると言う現実が、あの社長にこのような愚かなことをさせたのだと思います。決して他人事ではありません。明らかな「勝ち組」以外の日本人にとっては・・・。

下の写真は、昨日のかくさんからのコメント(2月6日)への追加データで、去年の初夏にルーブル美術館で撮った写真。
皆、狂ったように、モナリザの写真を撮りまくっている。
日本製のデジカメが世界を席巻しているらしい。
なお、被写体の人物は、私とは無関係です。
苦笑


私も、狂ったように、モナリザの写真を・・・。
モナリザ




  1. 2006/02/07(火) 17:04:17|
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鈴木清順「野獣の青春」(日活、1963年)

先週末に観たのだったが、鮮烈な印象が残っている。しかし、記憶に自信がないので、シネマディクトさんのメールの助けを借りてしまおう。ただし、以下ネタバレを含むので、近々鑑賞予定の方は、読まない方が良いかも知れません。




シネマディクトです、面白いですね。また、他の方のページも覗いてみましたが、
わりとまじめでいいですね。驚き。
というのも世の中ろくでもないのが氾濫していますから。
どのコメント者も自分で原稿を書く人たちみたいで
そういうところが「誠実さ」の印象につながるのでしょう。
まめにコメントするつもりですが、同じ人ばかりなのは
どんなものかと余計なことを心配したりして。
ところで山下のCD全集は私ちゃんと持っています。
(都合により一部省略)。それと『野獣の青春』
の件ですが、渡辺嬢、何とラストで顔をスダレ状に切られて
しまったのですって。残酷すぎてカットされたけどちゃんと
撮影だけはされたのだそうです。どうやって顔を作ったのか
ちょっとわかりませんけど。「ケイゾク」はTSUTAYAにあった
ので今度見てみます。「怪奇大家族」は「呪怨」のヒトですよね。
「呪怨」は怖かったけど全部見ました。では。




シネマディクトさん「呪怨」観ましたか。映画版ですか?
黒沢清の「回路」はどうでしょうね。
私的には、J-ホラーは、やはり、「リング」の衝撃が大きかったです。
J-ホラーの「手口」に慣れてしまってから「呪怨」を観たので、こちらの方が先駆者かも知れないけど、結構怖くなかったです。それは、「仄暗い水の底から」でも同様でした。
黒沢清では、ホラーでは無いかも知れないけど、「キュア」が怖かったですね。
山下全集の件、さすがですね。この件は、落ち着いたらメールしますね。

さて、「野獣の青春」。
渡辺美佐子の演技がすごくて、私は宍戸錠と一緒に最後まで騙されていました。
「スダレ」の件ですが、省略されたのは良かったのではと思います。
語られなかった怪談が、一番怖い。

私が驚かされたのは、やくざの会長の屋敷の一場面で、天井の高い豪奢な部屋なのですが、ガラス戸の外では西部劇のワン・シーンのような砂嵐が吹き荒れている。どうやって撮影したのでしょう。セットには違いないのですが、異常にシュールで、悪夢のような現実感がある。この後、鞭を手にした会長が女を追ってその砂嵐の中に出ていってしまう。これが、キリコとか、ダリとかの絵の中に生身の人間が飛び込んでしまったような不思議な感覚でした。

小林昭二の会長(ウルトラ警備隊・隊長!)は、素晴らしい怪演技で、猫を偏愛する変態役が決まって見事としか言いようがありませんでした。敵対する組織のボス(信欣三、インテリやくざ風、『特攻隊くずれ』?)の居室が、映画館スクリーンの裏側にあって、いつも背景に当時の日本映画が映り込んでいるのも面白い。

復讐を遂げた後の、なんともやり切れない気持ちを、奇妙にねじ曲げられた体のシルエットだけで表現してしまう宍戸錠は、やはり独特で、すごく魅力的な役者ですね。

このような凝った映画をたった一月で撮ってしまう当時の日活撮影所の実力には驚かされます。そして、このような希有の才能を簡単に解雇してしまった日活はその後滅亡し、一方の清順監督はいまだ現役であって、当代の人気者を起用して最新作「オペレッタたぬき御殿」(未見ですが)を撮っているのも、感慨深いものがありますね。
ルーブルにて




  1. 2006/02/04(土) 07:15:57|
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仙台のかくさんへ

昨日のかくさんのコメントに返事を書いていたら、長くなってしまったので、本文の方に書いて、ブログにしてしまいます。




いつも、コメントいただいて、感謝しております。
実は、先日、学会が松島であり、松島海岸駅前(仙石線)の「小舟」というひなびた食堂兼居酒屋で、焼き牡蠣、一個100円というのを食べました。夜に5個、翌日の昼にも5個。こんなに美味しい牡蠣を食べられる地元の人(しかも安く)はなんてしあわせなのだろうと思いました。お店を切り盛りする中年の店主と奥さんらしき人もとても気持ちが良くて、最高でした。漁師さんだそうで、自分の船を持っているらしい。

仙台のエスパ(でしたか)のすし屋では、活きダコ(260円)というのを食べたところ、とても美味しくて、もう一個頼みましたら、今度は、頭の部分を握ってくれました。うまかったです。仙台は、美味しいものが多く、良いですね。
なんて、ちょっとコメントと関係なくて、脱線。

絵は、ご存知でしょうが、ギュスターブ・モロー美術館の所蔵で、確か、12枚くらいの組み合わせパネルに描かれた作で、昨年の日本展でも持ってこられなかったものです。現地では、あまりじっくり観る時間がなかったのですが、デジカメで撮ったものをこのように、ブログに載せて、あらためて眺めてみると、かくさんのおっしゃるように、とってもすてきで、いつまでも見飽きません。

私も悲観的になりそうになることも多いです。そこで、なぜか、最近は数十年前の日本映画を見直したりしています。その頃の視点にたって見返してみると、「小泉改革」後の日本人の価値観(注1)の「みすぼらしさ」がクリアーに見えてくるように思えるのです。

(注1)
これは、テレヴィなどに出てくる人士の標榜する価値観であって、すべての人がそう思っているわけではないのでしょうが。しかし、「青少年への悪影響」は、テレヴィゲームなどの比ではなくて、「小泉・竹中改革的」な、おかしな価値観の方がよほど大きいと思うのです。私の理解では、それは、一口で言えば、「金を儲けたヤツが王様」と言うほどのものであって、健さんや緋牡丹のお竜(藤純子)の、弱いものたちのための、自己犠牲的なヒロイズムに喝采を贈っていた、かつての日本人の美学からはほど遠いものです。


  1. 2006/02/02(木) 01:15:36|
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老人色々

昨日は、80近い某私大名誉教授の訪問を受け、5時間近く対応したのだったが、くたくたになった。一夜明けた今朝になっても、疲れと後味の悪さが抜けない。

一口に老人と言っても、いろいろあって、共感できる老人もいれば、毒気の強い老人もいるのだと言うことを知る。放送局のように一方的にしゃべり続けるので、こちらから話しかけるタイミングがつかめないというか、だんだんその気も失せてきて、ひたすら我慢して、時間の経過を気にするだけという感じになる。いくつか気になる発言もあって、誠実な対応という意味では反論すべきだったところを、上述のような次第で機会を失ったので、後でメールしようかとも考えたが、あの調子で色々なところでしゃべりまくられたのでは、不要な誤解を世間に吹聴されても困るので、思いとどまった。

聞きながら思ったのは、要するにこの人は自分の自慢をしに来たのかな、と言うことと、私のことは否定的に考えているらしい、と言うことだった。「今まで人生は50%が運だと思っていたけれども、最近は80%が運だと思うようになった。運は人が運んでくるものだから、どんどん外に出て、人に会わなきゃ」と私の目を見て言うのであった。

地方の研究施設で地味に働いている私のことをどう思っているのか、よく分かる気がした。要するに、自分は人とこまめに会い、運が良かったので、ここまで来られたと言いたかったのだろう。しわくちゃの貧相な老人で、別に大学名誉教授という名札をつけているわけでも無いし、人品骨柄がそれ相応の品格を漂わせているわけでも無いので、名刺でももらわない限り、そのような人生を送られた方だとは気がつかない。

件の名誉教授と同じような年齢で、今でも徹夜で実験をしている人を知っていて、最近も学会でお見かけしたが、真剣なまなざしでポスター発表を見入って、何だか古武士のような風格があり、かっこよかった。

「人生は運」と言うのも、よく考えれば粗雑な言い方だし、その通りの意味で受け取ったとしても、諾い難いものを含んでいると思った。考え方によっては、「ホリエモン哲学」よりも青少年に害のある人生観だと思う。私は、結果はどうであれ、やはり人生は努力だと思っている。そういう考え方は馬鹿にされるわけだが、それで結構ではないか。

人種が違うとか、OS(コンピューターのオペレーション・システム)が違うと言う言い方があるが、今回の件は、一言で言えば、そういうことだったのかも知れない。私は、学会の誰それのゴシップとか、動向とか、どうもあまり興味が持てなくて、聞いていても上の空になってしまう。その話題の人物と何らかの関わりがあればそれは興味もあるが、誰が誰の弟子かとか、どこを卒業したとか、どうでも良い。しかし、こういう先生とウマが合う人もいるのだろう。

唐突に「こういう老人は、高倉健や藤純子が活躍した頃の任侠映画なんか観なかったんだろうな」と思う。つまり、老人といえども人生観が極めて「小泉・竹中路線」に沿っているわけである。

ギュスターブ・モロー美術館にて




  1. 2006/02/01(水) 09:01:04|
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