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マタンゴ(監督:本多猪四郎、 1963年、東宝)

「マタンキ」ではありません ・<>・? 
このギャグが通じる人は、もう高齢者?
子どもの頃見たかったけれど、見られなかったので、自分のなかの映画「マタンゴ」は、どんどん傑作化していって、幻の名作として、キノコ人間の怪しい面影とともに、何かしら切ないような思いにまで昇華していたようです・・・・。
しかし、現実は厳しいという言うべきか、やはり見なければ良かった現実というものがあり、昨夜寝る前に見て、どうも最後まで、しっくり来ませんでした。もっともっと幻想的で、美しく、しかも、恐ろしい話を期待していたのでしょう。残念です。未だカラー映画(イーストマンカラー)のノウハウが整っていなかったのでしょうか。暗がりの怖さをカラー作品で表現できるようになったのは、けっこう最近のことなのでしょうか。そういえば、キューブリックの「バリー・リンドン」(1975)は、当時最新の技術を導入した日本製高感度カメラを使って、殆ど人工照明を使わずに撮影することで、「泰西名画」的な画面を作り出したと記憶していますが・・・。
天本英世の名を出演者に見つけたので、いつ、いつもの「怪人物役」で出るのかと気になって、見続けていたら、結局最後まで出てこない。もしや、マタンゴ役? それはあんまりでは、と思ったら、案の定、「変身途上のマタンゴ」の役でした。猿の惑星の猿役にも匹敵する演目ですね。

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  1. 2006/01/29(日) 09:38:01|
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土曜の朝、早起きして「ウルトラマン・マックス」を見ること

先日、ブログに鈴木清順「殺しの烙印」の感想を書いたところ、早速、敬愛する(シネマディクトの)K氏からメールをいただいた。面白かったので許可をいただいて、転載します。

      ************
K’です(注1)。週末は突然の雪でびっくりしましたね。
子供の頃と違って、雪が降っても全然楽しくない。
もちろん交通事情を心配する必然性ゆえで、
歩いて通えるような職場ならこんなことはないのでしょうが。
大和屋竺の代表作『荒野の・・・』(注2)が最近DVDに
なりましたね。もともとビデオは出ていましたが。
音楽も山下洋輔のフリージャズで全編にみなぎる
アヴァンギャルドな気配が最高です。TSUTAYAには
結構置いてありますよ。是非。それとこれも最近DVD化
されたのですが『ぬるぬる燗々』というのが、作りはチープ
ですが竺ファン必見の内容です。同じタイトルで後にリメイク
されたものもありますが、大和屋さんが主演している方を
是非ご覧ください。
関係ないのですが、土曜の朝に『ウルトラマン・マックス』という
のをやっていまして、さすがに朝早すぎて見られない。
気にはなっていたわけです。傑作ぞろいだというウワサが
ありましてね。で、先日とにかく一大決心で見たところ、
本当に傑作でした。何と『ウルトラQ』の三人が勢ぞろい!
みんな老けていましたが。ちなみに女性記者を演じていた
桜井浩子はレギュラーで出ていますが。その日の内容も
年老いた科学者が、若い頃、俳優として『ウルトラQ』に出演していて
本物の怪獣に遭遇した顛末を回想するというもの。演ずるのは
当然、佐原健二で涙なくしては見られませんでした。それにしても
土曜朝7時半は私にはつらい。
(注1)ペンネームが未定のため、ここではK’(ケーダッシュ氏)としておきます。
(注2)都合(教育的配慮)により、伏せ字にいたします。ごめんなさい。
         *****************

10年以上前に、アメリカの田舎町で生活していた頃、夕方帰宅して「スタートレック・ザ ネクスト ジェネレーション」をテレヴィで見るのが楽しみだった。"The space, the final frontier.....(宇宙、それは最後のフロンティア)"と言うナレーションで始まる、良い大人がぴちぴちの宇宙服で決めて、宇宙人と外交交渉したりする、例の、あれです。

中でも、高度な知性を持つアンドロイド、データ氏が私のお気に入りでした。白塗りの青年がロボット的な振りで動き回ることだけで、アンドロイドを演じるわけですが、今の日本で言うと、どことなく、お笑い芸人のヒロシに似ていました。「人間になれないまま大人になってしまったピノキオ」という風情で、どこか悲しみをたたえたキャラクターを贔屓にしているファンがアメリカでも多かったようですね。

少し昔ですが、新しい(何世代目?)ウルトラマンシリーズを再開するに当たって、「日本のスタートレックを目指したい」と言うのが円谷プロの意向だったと言う記事を新聞で読んだ記憶があります。やはり、円谷プロの人たちも、データ氏が好きだったのかなと思ったのは、「ウルトラマン・マックス」のキャラクター、エリーの設定で、こちらはかわいらしい女の子ですが、冷静な分析力で仲間の窮地を救うアンドロイド(ロボット?)という役柄が共通しています。ロボット的な振りもすごく魅力的。

そういうわけで、今朝は、目覚ましをセットして早起きし、始まりの一分間を見逃したものの、「燃えつき症候群」を引き起こす怪宇宙人と闘う話を堪能いたしました。土曜の朝、惰眠をむさぼる悪習を絶つ上でも、かつての「ウルトラQ」世代にもお勧めですよ。


なかよし




  1. 2006/01/28(土) 09:25:08|
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実在する数学的現象・・・

「現代の数学は形式主義の影響を強く受けていて、数学は公理的に構成された論証の体系であると言う点が強調されるが、筆者の見るところでは、数学は、物理学が物理的現象を記述しているのと同様な意味で、実在する数学的現象を記述しているのであって、数学を理解するにはその数学的現象の感覚的イメージを明確に把握することが大切である」小平邦彦ー複素解析(岩波基礎数学選書)より。

「実在する数学的現象」というのは、実際に現代の数学の世界に触れた人でないとその感覚がつかめないと思う。その辺は、何でもそうだと思うが、その世界に入った人の「特権」であって、そのような「展開感・新しい展望」の体験があるから、人は何かに打ち込むのだと思う。小平邦彦のような数学者が言う場合と、私のような素人が理解するものとは、もちろん、雲泥の差があるだろう。しかし、「実在する数学的現象」と、この物質界との関係を考えたくなるし、考えなければならないと思う。そういう根本的な問題を回避していては、生きている甲斐がない。自分なりにアプローチしてゆこう。そのために、朝方の生活で、勉強をして行く。

そういえば、このブログを見た若い頃からの友人(少ないです)の感想は、「あいかわらず、勉強せねば、勉強せねば、って言っているねえ」と言うものだった。病弱な中年男性を悩ますと言われている執拗な残尿感のように、若い頃の「不勉強感」が未だに持続しているのかと思うと、感無量だった。自分で自分に合掌。自分よ、頑張ってください。こんなブログ書いている間に、勉強してください。

IMG_1072-s.jpg




  1. 2006/01/24(火) 05:02:14|
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鈴木清順「殺しの烙印」(日活、1967年)

♪♪
男前のオー 
殺し屋はアー 
香水の、 
匂いが、
したアー。

見始めは、40年前の日本のチープな感じが何だか自分のことのように気恥ずかしく、見続けるのが少し苦痛だったことを正直に告白しておく。しかし、見終わった後は、もう一度みたいと思った。大和屋竺(注1)による冒頭の「殺し屋の歌」がすごく良い。カラオケにあれば、歌いたい。
製作年は私が、「少年ジェット」とか、「海獣マリンコング」とか、「海底人ハヤブサ」等の子ども向けテレビ映画(白黒)に夢中になっていた時代の少し後(5年後くらい?)になる。共通していることは、(昔の)子どもが真似をしたくなるようなシーンがあること(本編はもちろん成人向けですが)で、突堤の突端に陣取った殺し屋たちを相手に、自動車の下に潜り、その車をロープで動かしながら、じりじりと敵陣に進んでゆく、シーン。宍戸錠の妙なナルシシズムがマッチして、この後、明るい太陽の下、白いシャツでライフルを肩に、勝利の喜びを満面に表して踊るようにふらふらと突堤を歩いてゆく忘れ難いシーンにつながる。カルト映画と言われる理由がよくわかった。この映画のために鈴木清順が日活を解雇された話は有名らしい。

新しいレンタルDVD屋には、鈴木清順が未だ何篇かあり、早速、「野獣の青春」を借りる。このDVD屋は地方にしては充実していて、「マタンゴ」も発見し、興奮。子どもの頃、観たかったけど観られなかった映画のナンバーワンである。次の週末が楽しみだ。なお、時間切れで、「幕末太陽伝」は、観られないまま返却。

(注1)脚本家だと思っていたが、この唄のシンガーソングライターであるらしい。すごく多才な人だったのだ。本編にも殺し屋ナンバー2役で出演しているのが本人であるらしい。


  1. 2006/01/23(月) 07:03:59|
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「さようなら、私の本よ!」読後ノート番外編補記

作中、椿繁のアンビルド計画(爆弾テロ)の実行犯は、タケシとたけしの二人組であり、coolfrenezieさんの指摘するように、これはタレントのタケシから取っていると考えられることは、大江一家の「誰でもピカソ」出演の件からも信憑性が増してきた。そこで、何故、「タケシ」なのか、で、思いついた事があったので、追記しておく(毒を食らわば、皿までどうぞ?、ということで)。

伊丹氏の自死の理由として、当時隆盛を誇った(というよりは猖獗を極めた?)写真週刊誌(フライデー、フォーカス等)によるスキャンダル記事があったような気がする。「さようなら、」のなかでも、残された者たちが、不当な醜聞に対して憤慨していたと思う。伊丹氏は死んでしまって、もはや抗弁の余地は残されていない。しかし、考えてみると、ビートたけしは、当時、同じような目に遭いながら、講談社「フライデー」編集部に殴り込みをかけて反撃している。伊丹氏とタケシ事件の前後関係は調べないとはっきりしない。しかし、大江氏がこの件をどのように見ていたかは、推測できる。「死ぬくらいだったら、タケシのように殴り込みをかけてくれたほうがよほど良かった。たとえ拘留されても、生きていてくれたほうがよほど良かった」と親友なら思うに違いない。そのような、なにか複雑な共感をタケシに感じていても不思議ではないと思う。

タケシ・たけしの二人組と、作家コギト・建築家ツバキの二人組が徒党を組んで、世界に爆弾を仕掛けに行くと言う構図には、つまり、二重の意味が仕掛けてあって、伊丹・タケシ両監督の二人組が個人に対する言論的権力の暴力(注1)に対してテロ(注2)で対抗すると言う、隠された意味があったのではないだろうか。それが、大江氏による、死んだ友への鎮魂歌であり、偽史としての物語「さようなら、私の本よ!」のB面だったのでは無いだろうか(注3)。

(注1)伊丹氏の件でもフライデー(講談社)だったか。ちなみに、「さようなら、」の出版社も講談社である。

(注2)戦前、梶井基次郎が京都の丸善に文学的「檸檬爆弾」を仕掛けて楽しんだのは有名だが・・・。

(注3)この「二重の意味」のもう一つの方(A面)に関しては、いとうせいこう氏が、裸の王様に出てくる子どものような、「素直な読み」を示しているので、興味のある方はご覧下さい。

http://diary.nttdata.co.jp/diary2005/10/20051031.html

いずれにせよ、私たちの世界は、巨大権力による暴力をお茶の間で見過ごしている毎日という、グロテスクな様相を呈しているのは確かなことであります。ここで眼を開くことはどれだけ苦痛でしょう。しかし、作家の勤めはそこにこそあって、大江氏はそれを忠実に実行しただけなのですが、文学界を含めた世間はそれを理解していない、というのが、現状なのかも知れません。Gモロー美術館にて




  1. 2006/01/21(土) 13:12:44|
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「さようなら、私の本よ!」読後ノート番外編ーたけしの誰でもピカソ

昨晩、食後にテレヴィ(大江風に)のスイッチを入れると、ベルリン陥落(注:第二次世界大戦末期、敗色濃いナチスドイツ首都のソ連軍による侵攻)の記録映像が出てきて、見入ってしまった。ヒトラーの遺言を口頭筆記した女性秘書が存命で、インタビューに答えているのも驚いた。大勢の市民が自殺したことも初めて知った。沖縄で起きたことが、ベルリンでも起きていたのか。兵士の死体の山だけでなく、死につつある兵士、さらに心中した家族の映像も出てきて、普段ならこういう場面は極力見ないようにしているのだが、この場合には見ておかなければいけないような気持ちになったのか、目を背けることが出来なかった。

テレヴィ番組は何事もなかったかのように突然終わり、チャンネルを変えると、古代ギリシャの神像が現れた。「この像をギリシャから略奪してローマに運ぶローマ軍の船が難破し、千八百年(ここは記憶が曖昧)の間、海底に眠っていました。しかし、ギリシャが独立すると、それに応えるかのように、ギリシャ人の漁師の網にかかって、再びギリシャの地に現れたのです。古代ギリシャの神がそれを意図したかのように」。それは大英博物館でもなく、ルーブル美術館でもなく、ギリシャ・アテネの美術館にあることが大事なのです、とギリシャ人の学芸員が強調していた。日本の場合だと、観音像で類似した話があって、こういう出来事には世界共通の普遍性があると思う。

その番組もすぐに終わって、リモコンを操作すると、大江光氏が作曲をしなくなった、というナレーションに被さって、ピアノに向かう光氏の後ろ姿が映し出された。全く予期していなかったので、目が釘付けになってしまう。初めはNHKのドキュメンタリーかと思ったが、大江健三郎と光氏、さらに大江氏夫人もバラエティー風の画面に並んでいるではないか。「たけしの誰でもピカソ」であることが分かって、驚く。「さようなら、私の本よ!」のワン・シーンでもおかしくないようなシュールな映像だ。光氏が作曲法を学び直して、作曲がしばらく出来なくなったこと。その後に、「70歳になったソナチネ」を作曲し、その披露の演奏会のシーンになった。演奏の始まる前に、作曲者光氏が訥々と曲の紹介を行うのだが、それは紛れもなく、「言葉の専門家」である父の子であることを明かすかのような、密度の濃い日本語だった。「父は70歳になりました。そして父は元気がありません。父には、元気になってもらいたい」。大江健三郎氏同様、真心から出た言葉におかしみがあるのは、そこに知性があるからだろう。聴衆も、テレヴィで見ている私も、思わず、笑ってしまう。再びスタジオに戻り、渡辺満里奈の司会で番組が進行する。

健三郎:私も三年くらい、何も書かないで、毎日小説ばかり読んでいることがあるのです。全く(光と)同じです。
満里奈:(夫人に向かって)そういうとき普通なら、本なんかばかり読んでいないで(少しは働いて)とか、言ってしまいますよね(さすが理解のある奥さんですねと言う気持ち)。
健三郎:(すかさず)本なんかっておっしゃいますけど・・・
ここでスタジオ爆笑。番組の性格を良く理解しているというか、抜群の「つっこみ」のセンスを発揮したノーベル賞作家だった。その後、スタジオで「70歳になったソナチネ」の演奏が行われた。優しい古典的な響きの音楽なのだが、その終わり方に独創的な美しさが現れる。たけしが大江氏を「リスペクト」している様子がありありと感じられたが、スタジオ全体が不思議な浄福感に包まれているかのようでもあった。何よりも、画面の真ん中で緊張して背中を丸めている光氏の存在感が大きく、身も蓋もない言い方だが、人間の天使性が顕わになる瞬間が、普段は猥雑きわまりない日本のお茶の間のテレヴィに出現していた、希有な時間だった。たけしもテレヴィの仕事を続けていてつくづく良かったと思ったに違いない。

さて、「さようなら、私の本よ」に戻る。
「さようなら、」は、不可解な自死を遂げた親友・伊丹十三への物語によるレクイエム(鎮魂歌)の試みでもある。椿繁は、優れて伊丹的なキャラクターであり、作中、深夜、死者たちと対話する作家は、物語のなかでもう一度彼とともに冒険することを試みたのではないだろうか。彼が生きていたら、と言う思いがこの本を書かせたもっとも大きな動機であったという印象を受ける。もちろん、作中、伊丹監督自身も故人として繰り返し言及され、キャラクターとしては独立しているわけだが、小説手法として、彼の分身とも言える椿繁を創造したわけで、この点は、「新潮」のインタビューでも触れられていたように思った。

伊丹氏以外の死者としては、三島由紀夫が重要な登場人物であり、三島に関しては特に、作家の回想・実際の事件と物語自体の間に明確な線を引くことが出来ない仕掛けになっている。たとえば、三島の才能が(児戯に等しい)政治活動に浪費されることを危惧した澁澤龍彦(注:作中ではタツオさん)とその一派が計画したという「ミシマ=フォン・ゾーン計画」なるものも、仮に「知的レヴェルの高い夕刊紙」が存在したとしたら、トップ記事になりそうなリアリティーがある。要は、ミシマをオスカー・ワイルドの境遇において、牢獄で文学に専念してもらうために、彼をはめる計画なのだが、本気でこれを考えていたグループが存在したとしても決しておかしくないと思わされる一方で、とてもうまくできた嘘の感も否めない。もう一つ、「セブンティーン」の発表の直後に三島から届いたという親書の話。こちらは、このような話で嘘は書けないと思わされ、昭和偽史としての面白さは三島関連できわだっている。

伊丹氏の自死には色々な原因が取りざたされていて、映画のための取材で対立した「右翼・或いは暴力団」に繰り返し脅迫を受けていたため、自殺ではなく他殺ではないかという見方もあるらしい。その死の前に、伊丹と同様に国際的に映画作家として評価され始めていたたけしがカンヌ(だったと思う)で受賞したと記憶している。ロサンゼルスに事務所を構え、俳優としても国際派として活躍した伊丹氏は、人一倍海外での評価を求めていただろう。たけしの受賞には強い敗北感を感じたのではないだろうか。大江氏がそのたけしの番組に出演することも、伊丹への鎮魂の行為であったかも知れない。

番組中、大江氏は、さりげなくだったが、重要なことを述べている。
「私は、本棚をこれから読む本で一杯にしておくのです。以前は、T.S.エリオットでしたが、今は、(ミルチャ)エリアーデを読んでいます」

大江氏は、作中、繰り返し、自分と友人を老人と呼んでいたが、番組で観た大江氏には、何故か老人と言う印象が全く無かった。それは、昔YMOが着ていた人民服をモダーンにしたような面白い服を着ていたせいだけでもなく、氏の精神的な若さが肉体にもあふれ出ていたからだと思う。「魂」を常に問題にしていた氏であったが、若き日にサルトル(子どものための注:フランスの現代哲学者)を背景に作家として出発した氏が、エリアーデのようなインドで修業した霊性の大家を読んでいることをあからさまに口にしたことには、メッセージ性がある。やはり時代は変わってきていると思うし、何よりも、これからの氏の作がとても楽しみになってきた。


  1. 2006/01/21(土) 09:19:50|
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カミング・アウト

高校生の子どもを駅まで、車で送り迎えしている。
不便な生活ですね、といわれそうだが、物事には必ず両面あって、良いこともある。それは、色々なことを話す貴重な時間が出来るということで、普通、高校生の子どもとまじめな話が出来る親なんてそういないのではありませんか?

もともと宇宙とか、人間の本質とかに感受性の強い子どもだったが、ついに、(わたしとしては、ついに、なのである)、シュタイナーのことを話した。私は、「隠れ人智学徒」であって、就職してから知り合った人には、いくら親しくても、自分からこういう話題を振った経験はなかった。自分の子どもに対してさえそうだったのだ。

宮澤賢治が一時期ブームになって、映画が撮られたりもしたことが何年か前にあった。その監督が、賢治は読んだことがなかったと正直に告白していて、私は何だか腹立たしく思ったものである。その映画は観なかったが、想像は付く。「心のきれいな童話作家の生涯」をファンタジーみたいに描いてお茶を濁しているとか・・・。しかし、賢治をある程度読み込んだ人なら承知のように、彼は人間の生活・現実を実に厳しくとらえていて、例えば「蜘蛛となめくじと狸」を読むと、自分自身教師だった賢治が、日本の学校というものをどのように見ていたかがよく分かる。賢治に深く影響されるということは、この世の現実を否定することにつながり、読者に茨の道を用意するはずなのである。賢治には強い毒がある。それを飲み干した人には、世間の価値観と闘う人生が待ちかまえている。

シュタイナーのことを私は子どもに、「霊能者の哲学者」と言った。子どもはその言葉に強く反応した。何か、待ちかまえていたようにだった。この形容は、ある意味で身も蓋もないものかも知れないが、偏見のない人には通じるかも知れない。

何かシュタイナーの本を読ませてと言うので、私の大事な蔵書、20年以上前に出版された(今出版年を確認できないが)紫のケースに入った純白の装丁の「神智学」(高橋巌訳、イザラ書房)を渡した。シュタイナーを知ることは、人生の冒険に船出することだと思う。賢治同様、世間の価値観とは一致しないはずである。しかし、そこにこそ人間性の真の故郷があると予感する者もいる。健闘を祈る。


  1. 2006/01/17(火) 08:04:37|
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理想的な週末

土曜。「ぷーぺどーる」でケーキを買い、コーヒーも買わねばと思って車を走らせていたら「南部珈琲」を見つける。ミルと豆を購入。豆はその場で焙煎してくれて、20分ほど待っている間に、珈琲を一杯サービスしてもらい、恐縮。

日曜、一月半ぶりにジムと水泳。新しいレンタルビデオ店が出来て、早速覗いてみると、昔の日本映画が意外に揃っている。川島雄三「幕末太陽伝」、「殺しの烙印」(あー、監督の名が出ない。「チゴイネルワイゼン」、「陽炎座」の元日活の名監督だよ、ほら・・・。ポワトリンにも変なじいさん役で出ていたでしょ。)DVDで借りる。あー早く見たいが、いつになるか。

勉強もし、ルカ文書、ヨハネ黙示録、シュタイナーも読めた。良い週末だった。
さて、今日からまた働かねば。


  1. 2006/01/16(月) 08:10:17|
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冬休みの回想ー読書編

冬休みに、大掃除をしていると、昔の写真がたくさん出てきて、思わず見入っていたりしている時間が長かった。今では何となく疎遠になってしまった職場の同僚が、招いた新婚の我が家で、はじけるような笑顔で笑っている。今ではつまらない出世競争の相手として認識して居る彼の、若い日の素晴らしい笑顔を見ていると、涙が出るほど、自分の失ったものの大きさが実感できた。今は高校生になってしまった子どもの、アメリカ滞在時の写真。向こうで4歳の誕生日を迎えて、夏の休暇に山に登ったり、湖水を遊覧船でわたったりしたときの写真が出てきた。今は悩み多き青春を送っている彼女にも、こんなに美しいしあわせな夏があったのだ。家を新築した頃、下の子はまだ、天使のような幼子だった。家内もこんなに美しかったのか! 

本もそうで、生活に追われて、その存在も忘れたようになっている死蔵本が、ぞうきんで埃を拭い、本棚に並べ直してゆくと、生き返って来るようだった。家の中が片付いたら、日当たりの良い南向きに安楽椅子を引っ張り出して、ゆっくり読書するのを楽しみにして、掃除をしたのだったが、短い休みはその時間をそれほど恵んではくれなかった。その中で、佐藤愛子「私の遺言」を再読した。

「遺言」としての重みを噛みしめる。年末はクリスマスを経て、自分の霊的な転換をはっきりと自覚することが出来たが、その中での重要な読書だった。佐藤愛子氏は、いわずと知れた世間的に十分認められた作家であって、老年に至り、もはや書くべきものを書き尽くした上でなお、遺言として本書を書いた。そこには、やむにやまれぬ衝動、使命感があったことが伝わってくる。自分はやがて去って行くことになる現在の日本の状況を、心の底から憂い、心配している。そして、佐藤氏が心底心配し、これだけは伝えておきたいと思ったメッセージとは、おおかたの日本人が想像もしないようなものであった。

それは、端的に、人間が霊的な存在であって、生まれる前にも、死んだ後にも自己は存続しており、そしていつか再びこの地上に生まれてくる。死後の世界は存在し、神も、仏も、菩薩も、キリストもいる。さらに、困ったことには、「悪霊」も存在して、人間たちを陥れるべく活動している。と言うことである。そして、現代の日本人の「波動」の恐るべき低下が、「少年A」のような若年層による信じられないような事件を、「悪霊の憑依」として可能にしている。と言うのである。要約してしまうと実に身も蓋も無い。しかし、佐藤氏の長年の作家活動で磨かれた沈着かつ誇張の無い筆によって、読者はこの結論まで淡々とみちびかれて行くであろう。即ち、佐藤氏の身に降りかかったポルターガイスト現象に始まる一連の二十年以上に及ぶ執拗な心霊現象の記録として。

佐藤氏は、五十歳を過ぎて、長年悩まされてきた前夫の借金を完済し、さらに多少のお金が余ったので、別荘を持つことにした。そのための土地を、北海道の雄大な自然美のただ中に選んだことから事件は始まる。この事件に遭遇する以前の佐藤氏は、全くそのような精神世界を信じるタイプではなかったという。しかし、心霊的事件の発生と、窮地に陥った氏を助ける人々(いわゆる霊能者)との出会い、そして、20年以上の悪戦苦闘の月日の後、最終的に成仏して行くアイヌ・佐藤家祖先の霊たちを「見届けた」結果、たどり着いた認識が上の要約であり、それらを後生に残すためにこの本は書かれた。

一個人の人生の意味、その苦労と、人々との出会いの意味、それは、与えられた命を全力で生き切ったときにのみ明らかになるものであろう。その意味で、佐藤氏は与えられた自分の人生を生き切った人であることが分かる。私は、佐藤氏を心から尊敬せざるを得なかった。

本書の読後感は、むしろさわやかで、本来なら恐ろしい現象の数々も、ある意味、氏の天性の明るさによるものか、どことなくからっとしている。

さて、このような「メッセージ」を私がなぜ素直に受け入れるのか。
そして、なぜ、わざわざ、ブログに書き残すのか。
今日はもう深夜一時を過ぎたことでもあり、それはまた、別の機会に、ぼちぼち書いて行きたいと思う。
水辺にて




  1. 2006/01/15(日) 01:23:04|
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昨日、特許庁にて面談

昨日、特許庁で審査官と面談。強者二人に助太刀される。
ひとりは欧州、米国でも特許拒絶査定の面談経験のあるKさん。
面談の勝敗は20勝0敗と言うから、宮本武蔵みたいなものである。
もう一人は元特許庁職員で審査する側だった弁理士さん。

霞ヶ関に行くのは、十年ぶりか。
高層ビルが立ち、昔とは雰囲気がまるで違う。
古い官庁のビルは殆ど残っていないようだ。
旧科学技術庁ビルは未だ健在で、昔から貧相だったが、今ではすごく「旧庁舎」感が強い。
特許庁のビルから、首相官邸が見えると教えてもらった。

審査官は「若いお坊さん」みたいな雰囲気の人で、誠実に対応していただいた。
こちらの準備もかなり力を入れておいたので、すべてがうまく噛み合ったと思う。

今日、その結果を踏まえて最終的な対応文書を弁理士さんに作成してもらった。
全力でことにあたっていただいた関係者の皆さんに心から感謝したい気持ちである。

新「丸ビル」の丸善に寄って帰る。
しゃがみ込んで、シュタイナーの翻訳を物色していると、
「平河出版ですが」と名乗る人が、宗教・精神世界関連書の売り上げ動向を売り場担当者に熱心に尋ねているのが耳に入ってきた。興味深く耳をそばだててしまった。売り場の担当者は若い女性だったが、この界隈の状況を良く理解していて感心する。さすが丸善。

「シュタイナーの100冊のノート」を入手。
2000年にワタリウム美術館で展示されたそうだ。
全く気がつかなかった。実に惜しいことをした。
この本は、世界初出版らしい。快挙と言うべきであろう。
高橋先生のコメントは、さりげないが、長年の研究の成果を示していて感慨深い。

「シュタイナー黒板絵の世界」の展示(同美術館)の方は見ることが出来たのだったが、なぜか、内容が全く思い出せない。しかし、そのカタログ(筑摩書房)は手元にあり、正月に見直して、その唯一無比の(しかし普遍性を湛えた)世界にあらためて魅了された。

夜、研究所に戻って、特許事務所にメールし、9時過ぎ帰宅すると、猫も子どもたちも皆寝静まっていた。家内は夜の仕事で不在(と言っても、変な仕事ではありません、念のため)。
月




  1. 2006/01/13(金) 15:45:17|
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東京堂にて衝動買いすることードイツ神秘主義叢書

子どもの学校の面談があって、その帰りにランチョンで遅い昼飯をとる。牡蠣のチャウダーをうまいうまいといいながら食べる。子どもは牡蠣フライで、私はランチメニューのメンチカツ。メンチのドミグラスソースが美味だった。その後、高橋巌先生によるシュタイナーの新しい翻訳を探すつもりで、神保町の東京堂に行く。工作舎のライプニッツ著作集が未だ売られていることを知ったが、値段を見てたじろぐ。いくら何でも一冊で一万二千円(数学論集)とは! 

その近傍にドイツ神秘主義叢書を見つける。第八巻「アウローラ」七千円、第九巻「ベーメ小論集」五千参百円、二冊手にしたところで、早速店員さんが「如何致しますか?」というまなざしを送ってきたので、ふらふらとそのままレジに預ける。こういうところに東京堂の「隠秘なる販売力」が発揮されている。ライプニッツ著作集のべらぼうな値段にショックを受けた後だったせいか、値段も見ないままだった・・・。これで予算的にオーバーフローしてしまったので、シュタイナーの方は次の機会まで延期した。

キントト文庫(昭和の大衆文化関係専門)も初めて入ったが、普通の「町の古本屋」で見つければ数百円程度のものが、このような専門性によって集められると値が張るようになるのか。最近はブームもあって、昭和の雑誌のバックナンバー等は神保町ではどこでも高いようだが。懐かしかったが、買うわけにはいかない。瞠目すべき狭さ(集積度?)。棚と棚の間で身体の向きを変えることが出来ない!

休憩は明治大学の並び(少し遠いけれど)の「古瀬戸珈琲店」でキリマンジェロ。ケーキひとつを二人で分ける。ここは初めて入ったが、客層も落ち着いていてとても良かった。これからはここにしよう。器も珈琲も格調高くて気に入った。以前、ヨーロッパの古楽中心のCD屋があった場所ではないかと思う。

子どもの希望で、仕上げに「ビレッジ・バンガード」に寄って、私は「新装版・虚無への供物」(中井英夫)、子どもは、「おろち1・2」楳図かずお等を購入。

帰りの列車で、ベーメ小論集「汎智学の神秘」読む。「今こそ、なんじがなすことを考えよ! まことにバベルはすでに動き始め、燃え出している。もはやその火は消えることもなく、その手だてもない。その悪は明白となった。その国は終末に向かっている。ハレルヤ!」




  1. 2006/01/10(火) 23:15:49|
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新年の決意

クリスマスから正月にかけては、重要な霊感を得る季節である。そう、どこかでルドルフ・シュタイナーが言ったと、シュタイナー研究者が教えてくれたことがあった。そういう気持ちがあったのかどうか、冬休みは、休み前までの気分とは異なったモードに切り替わっていた。それは、仕事に追われて生活に眼が行き届かなかったことへの反省から始まって、家の中を片付けたり、掃除したりすることに没頭していたのである。その一方で、活元運動を復活させ、瞑想も再開した。

今考えると、冬休み前には、自分の生活を取り巻く「気」が極端に悪くなっていたのだと思う。道場や、寺社など、日本の伝統文化的な環境では、清浄な気を感じさせる環境が大切で、そのためにこそ、門人は掃除に精を出す。家庭もその心がけが大事だとつくづく思った。我が家では、私が頑張らないとこの点がおろそかになってしまうのである。

そういえば、五年前に他界した父が、休日に一生懸命台所を掃除したりしていたことを思い出す。鏡を覗くと、どことなく死んだ父親に似た男がこちらを見つめている。

記憶がたしかであれば、人生のなかでもっとも霊的な生活から離れてしまうのが、人生の折り返し点付近であると、シュタイナーが述べていた。つまり、人生に没頭し、生活に追われ、あるいは手が届きそうな世俗的成功に夢中になって、自分の「霊性」を問題にする態度が失われるということである。

その意味で、この冬休みにはっきりと自分の考えの指向性が切り替わったことを意識できた。人生の折り返し点を過ぎたのであろう。順調に注意深く進めば、100歳近くまで生きることになる。とても脳天気な、楽観的な人生観かも知れないが、健康にも留意して、「自然という書物を読む生活」を深めてゆくこと。それが新年の決意。





  1. 2006/01/10(火) 22:19:56|
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謹賀新年

あけましておめでとうございます。
今年もよろしく御願いいたします。

冬休みが長くなってしまいました。
明日あたりから更新するつもりです。




  1. 2006/01/06(金) 12:25:35|
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