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浦沢直樹「20世紀少年」第20巻

20th century boys, vol.20


今読んでいる「さようなら、私の本よ!」(大江健三郎)では、もし、三島由紀夫が自衛隊阿佐ヶ谷駐屯地で生き延びて、獄中生活の後、再び活動を開始したなら、という、「もし」に固執する人物たちが登場する。

浦沢直樹の本編もそのような「もし」の物語だと思える。
「もし、オーム真理教が、成功してしまったら、どのような日本になっていたのだろうか?」
荒唐無稽な考えにも思えるが、もし、「松本智津夫被告」が、あのような破滅的な性格とともに、周到な(悪魔的な?)忍耐力と計画性を持っていたなら、決してそれは、不可能なことではなかったかも知れない。
初めはごく小さな新興宗教団体だったもの(推測)が、政権与党の片割れになっている現状もある。

オーム真理教の持っていた想像力の子供っぽさが、作者を驚かせ、そして、昭和の或る時期の「子ども文化」の豊穣さといかがわしさがその根源にあったのではないかと、感づかせたのだろう。あのような子ども文化の豊かさは、もう二度と回復できないという思いもあるに違いない。
世界大統領「ともだち」は、自分の愛する、マンガが圧倒的な力強さを発揮した昭和30年代の日本を、まるで子どもが箱庭を作るように再現しようとさえする。

マンガとして目新しい点は、「登場人物が歳を取って行くシステム」であるが、「麻薬捜査官」ユキジがおばさん顔になって登場するのが私には一番ショックだった。
また、重要な登場人物に実在の著名人の風貌を借りてきていて、それを当てる楽しみもあるのであった。東南アジアのジャングルの奥で阿片工場を支配する青年は、「ねじ式」の主人公みたいなところもあるが、現共産党書記長の風貌を引用していると思える。

20巻は、話の展開としては煮詰まってきたようで、説明的なエピソードが多い。だんだん初期の緊張感が薄れてきた。オッチョの「巌窟王」エピソードの頃は面白かったのだが、ケンジが復帰してからが少し力弱い。彼の「音楽の魔法の力」の役割は、少し説得力が乏しいような気がする。どうも面白くならないのは、物語前半にあった「悪」が、だんだん抽象的になってきて、遠景に遠のいているせいか。


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  1. 2005/10/30(日) 23:17:02|
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「Magic Nut」初演ーロシア・マリインスキー劇場

ギリシャ正教会・サンクトペテルスブルグ


ロシアは今年初めて仕事で行くことになった。
昨年の地下鉄テロ事件の記憶も生々しく、本当は気乗りがしなかったのだが、ロシア人の友人の親切で、学会で講演する事が決まったのである。

サンクトペテルスブルクは、忘れられない街になった。
地下鉄駅は地中深くにあり、エスカレーターが怖いくらいの高速で下降していく。
軍事施設と位置づけられるので、写真は撮らない方がよいと言われた。

夜、マリインスキー劇場で、アメリカに亡命してニューヨークに住むシミアキンというアーティストが美術を担当した新作バレー「Magic Nut」を観た。
開演前にロビーで、キャビアを肴にウオッカを飲む。L氏のおごりだ。ウオッカも良いものはおいしいと言うことを知る。休憩時間に、小野ヨーコらしき婦人を見かける。

バレーは、「クルミ割り人形」の全段にあたる話らしかった。
大人になる前の少年少女(王子と王女)の物語で、猫は善玉、ネズミは敵役なのは、ディズニーの逆であって、好ましい。私は猫が好きなので。

猫たちの献身的な護衛もむなしく、王子はネズミたちの呪いを受け、ネズミ顔にされてしまう。

天上の天使の世界や、水中の眷属の世界(これがやたら楽しい)まで魔法のクルミを取り返しに行く王子とその庇護者(叔父?)の冒険も、むなしく終わる。

最後はとても悲しい余韻を残す作品で、すべてが素晴らしかった。

(付記)
ここで私が書いたあらすじは、言葉も分からず、記憶も曖昧なので、あまりあてになるものではありません。


  1. 2005/10/30(日) 01:13:21|
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科研費申請で発狂 没古狸先生の出現

一人、科研費申請書類作り。
気がつくと、いつの間にか部屋が暗くなっている。

部屋の隅にうずくまる黒い影がある。
だんだん人の形になってくる。

「儂を呼んだのはおまえか?!」

「・・? いえ、とくにお呼びした覚えはございませぬが・・・」

「見よ! 床の五芒星が何よりの証拠じゃ!」

見れば、ひび割れた研究室の床に、鮮やかな朱の五芒星が描かれている。

「・・?」

「研究計画じゃと?、このウツケ者が! 計画の立つ研究などして何になるというのじゃ。研究とは、地図の無い荒れ野、人跡未踏のジャングルの探検なのじゃー、その場その場で死にものぐるいで前に進むのじゃー、それが研究というものなのじゃー」

「そんなにじゃーじゃー言われても困ります」

「未だ悟らぬか! 愚か者! それなれば、この通りじゃー!!」

おお! 愛用のアップル・ビデオディスプレイはまっぷたつに割れ、液晶が鮮血のように流れ始めたではないか・・・・。

というわけで、仕事はこのくらいにして、家に帰って寝ることにしたい。
のは、山々であるが、没古狸先生の言うとおりにしていたら、来年からカスミを食っていきてゆくことになってしまうので、やっぱり作業続行。チオビタドリンク二本目。


  1. 2005/10/29(土) 18:52:28|
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大江健三郎「さようなら、私の本よ!」第一部読了

深夜、風呂を浴び、焼酎お湯割りを用意して読む。
予想に反して、「洪水は我が魂に及び」みたいな状況になってきたところで、第一部が終了。

ちなみに、「洪水・・」では、核シェルターに引きこもっている作家の生活に革命集団が侵入・占拠し、最終的に彼らと運命をともにする話だったと記憶している。最後に、死を前にして作家は、「すべて良し」と言う。それだけを覚えている。

本編に戻る。政治家、官僚、財界の腐敗が著しい今の日本で、日本人の若者が自爆テロを起こしてもおかしくない。そのための起爆剤になるような映画を、ゴローさん(伊丹十三)が撮るはずだった。そしてその脚本を自分が書くべきだったのだ。と、作家が深夜、旧友に語る。

自爆テロが可能な状況は複雑で、私に分かるはずもない。愚考するに、一つには、深い怒りと絶望があるだろう。しかし、組織的に持続的に行われているらしい現状を見ると、やはり洗脳的な教育があるのではないだろうか。理不尽な国家暴力(それは確かに実在しているのだが)に対する怒りを、うまく誘導するような。来世的な信仰とそれが結びついているのかどうかは、私の視野の彼方のことで、分からない。

日本の政・財・官の腐敗ということに関しては、それがうまく、隠蔽というよりも誤魔化されていて、真剣な議論やジャーナリズムの追求の対象にすらならない状況なので、大江氏のような知識人(死語)にはクリスタル・クリアーであっても、一般の若者がそれを実感しているかどうかは、大いに疑問だ。

大江氏の昔の作でも良く取り上げられていた自衛隊のクーデターの可能性が、ミシマの思い出とともに、旧友の教え子であるロシア人の若者の発言をきっかけに語られる。アカリ(光氏)が幼いとき、三島が自死して、大人たちが彼がどんな人間だったか、かなり背が低かったと話すのをわきで聴いていて、「こんなに小さかったですよ」と掌を地上30センチくらいのところで水平にして見せた、という思い出話。こういうところは、大好きだ。

第二部で、彼らは、どんな政治的な冒険に乗り出すのだろうか。



  1. 2005/10/29(土) 12:52:10|
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科研費申請書類 地獄の罠

私のMacG4では、Virtual PC 上でのMS wordは、遅すぎる。
海外の同時生中継番組くらいの入力-表示間の遅れがある。
まったく捗らないが、今回は、このまま我慢してやり遂げるしか無さそうだ。
それでも、峠を越えつつある。

前回の申請(採用された)は応用に力を入れて書いたので、ある意味書きやすかった。
今回は、基礎的な研究なので、前回で確立した書き方は通用しない。
新たな筆法を開発しなければならなかった。
これが審査官に通用するかどうか。
心配しても無駄なので、ともかく、最後までやり遂げることである。
やはり、週末に働かなければならないようだ。




  1. 2005/10/28(金) 18:16:44|
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大江健三郎「さようなら、私の本よ!」第一章を読む

第一章に入る。
いつもなら焼酎のお湯割りが深夜読書の定番なのだが、今夜はポットのお湯が切れていたので、ロックにする。

いよいよ、旧友とその仲間が、病み上がりで老いの感覚に侵された作家の生活に入ってくる。場所は北軽井沢の別荘で、その別荘の設計のための建築コンペ(出版社の主催?)で優勝した若手建築家が偶然にも旧友だったのだ。

正直なところ、戦中-戦後昭和世代の強い上昇志向の生き方と特権階級的なアイテム、アメリカへのコンプレックスが正直に出ていて、気になってしまう。
今の日本の若い世代の深い澱み感とはかけ離れた世界かも知れない。

自死した伊丹十三(ゴローさん)の思い出話が始まる。


  1. 2005/10/28(金) 13:36:37|
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科研費中盤戦の実存主義者 

ロシアにてアニメを見ること


科研費申請書を引き続き書く。
明日は完成の予定。

結果を考えたりはしないで、淡々と作業できる自分がいる。
考えても無駄だから。
それは虚無的な態度というのではなく、むしろ実存的な態度?

これで駄目だったら、この時間をどうしてくれよう?
と思うのは確かだが、この類の時間の浪費に慣れなくては、現代の理科系(実験系)の研究は不可能だと言える。思えば、数々の苦々しい思い出が脳裏を横切る。

理科系の研究が多額の資金を要する「事業」になってしまった今日、建築家がコンペに応募して「連戦連敗」を誇るような、図太さが必要なのだ。

力を入れるべきところと、抜くべきところが自分でも分かって、メリハリが出る。自分が審査官なら、この申請書なら絶対合格を与えるのに、等と考えてみる。いつものことであるが。

夕方、外に出てみると、いつの間にか雨が上がって、すっかり秋だった。





  1. 2005/10/28(金) 01:07:57|
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大江健三郎「さようなら、私の本よ!」読み始める

昨夜、大江健三郎「さようなら、私の本よ!」読み始める。
たっぷり時間が出来たときに耽読しようと思っていたが、そんなことを言っていると、いつになっても読めない。

フランス装というのか、ソフトカバーで上面が揃っていない装丁である。最近は多いのだろうか。串田孫一の「山のパンセ」とか、辻邦生「背教者ユリアヌス」が、私が初めて接したフランス装の本だったような記憶がある。

序章を読んで、第一章に入るところで、一時近くなったので、就寝。

現在の世相で、三島由紀夫が存命だったら、ものすごい影響力を発揮していただろう、ということがどこかこの先に書いてあるらしい。その辺も楽しみにしているのだが。

序章では、作家の分身とその身近な人々(大江作品の出演者たち?)が登場。私は、「ピンチランナー調書」以来、大江作品を読まなくなってしまったので、大江氏の実在の周辺人物を反映している人間関係は把握しにくい。特にこれから重要な役割を果たしそうな、建築家でアメリカの大学で教師をしている主人公の旧友(兄弟の可能性も示唆される)にあたる人物は、大昔の読者である私には、新顔の「出演者」だ。

旧作(空の怪物アグイー?)中、幼児だった光氏の分身(小説中の名前は失念・・・母音二つだったような気がする)が動物園でカバ(?)舎の檻の内側に落ちてしまうエピソードなど、唐突に思い出す。本作中ではもちろん成人している。成人しても、存在感はひときわで、一言発するだけで(しかも伝聞)場をさらってしまう。


  1. 2005/10/27(木) 13:16:49|
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ベートーベン ピアノコンチェルト第3番 第2楽章

自分はベートーベンよりブラームスの方が共感できる。そう思っていて、ベートーベンは最近はあまり聴いていなかった。

ヘルツオーク「神に選ばれし無敵の男」は名作で、忘れることができないような独創的な終わり方をする映画だが、この映画で、無垢の力持ちである主人公が、愛する「とらわれのピアニスト」にプレゼントするのがこの曲だった。

正確に言うと、最愛の人の夢が、この楽章をオーケストラと一緒に演奏することであった。無垢の力持ちは、ヒットラー台頭下ドイツのユダヤ人仲間の助けを借りて、それを実現させるのである。
そのシーンで、こんなに良い曲だったのかと再発見した。

ベートーベンは緩徐楽章が美しい。

ほとんど同じ題材でほぼ同時期に封切られたポランスキー「戦場のピアニスト」に比べると、ヘルツオークの作の方が遙かに上であると私には思われた。


  1. 2005/10/27(木) 00:34:18|
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楳図かずお「洗礼」再考

子どもの頃、楳図かずおは、少年サンデーや少年マガジンで読んで、深く魅了された作家だった。しかし、小遣いの都合もあって、その作品は皆断片的に読んだのみで、この歳になってようやく、作品全編を間談無く読めるしあわせが訪れたというわけである。だが、これは、当時リアルタイムで読んだマンガすべてに言えることなのであった。当時完読したものは、全集を買った鉄腕アトムを除いて、一つも無いのではないか。

「洗礼」は、最後まで読まないといけない作品の典型で、完読後は、作品の評価が一気に跳ね上がる。

こんな馬鹿なことが、脳の移植手術なんて出来るわけがないと思いつつ、まして、脳を移植したら、人格も移植されるなんて・・・。と思いつつも、作者の手腕に翻弄されて、ついつい読み進んでしまう。


以下ネタバレあり

母親が(乗っ取った娘の身体で)、床にうち捨てられた娘の脳を踏みつぶすシーン。親が子どもを否定する事の、これほど強烈な表現は前代未聞だ。これを見ると、子ども読者は本能的に、人生の真実に触れた気がするかも知れない。「母と娘」(親と子にまで広げても良い)というものの真実を、楳図かずおに描かせると、こうなるのか!

手術は実は無かったという「事実」が告げられた時には、昭和日本映画の「母もの」の陰画かとも思われてきた世界が、一気に陰陽逆転し、「娘の母への文字通りの献身的な愛」が表面化して、私は動揺、というよりも感動してしまった。

ところが、埋められた母親が土のなかから自力ではい出してくるシーンの存在で、何が事実なのかが分からなくなってくる。すべては、そんなに短時間に起きたことであったろうか? 土に埋められた母親が生きていられる程の短時間の出来事だったのか?

先生が最後に謎解きをしてくれる訳であるが、「母親の復活」は、その謎解きが一気に決壊してしまう、堤防に空いた小さな穴のような気がする。

シャマラン流の「最後に謎解き」映画では、平均的アメリカ人でも分かるように、すべてがすっきりしてしまって、そのせいか、映画館を出た後の余韻が無くて、感傷的な日本人としては困るわけであるが、楳図マンガはその点、最後ですっきりしたように見せかけて、実は、読者の無意識に傷跡を残すという離れ業をやってのけるのであった。

その傷跡はうずくのだが、しかし、それは嫌な気持ちではないのである。


  1. 2005/10/27(木) 00:18:33|
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科研費web申請 初体験

疲労困憊

チオビタドリンクを買ってきてもらって飲む。
ピーナッツチョコも。
遭難寸前の登山者同然だ。
悲壮な決意を持って望む。

一時保存したはずの入力が消えている。
応答が、フリーズと区別がつかないくらい遅い。

画面が更新されるまで、勉強したり、昼寝したり出来るほどだった。

従って、誤入力は致命的である。私のように、ともかく書いてから手直しする方針の人間は日が暮れても終わらないだろう。

共同研究者の研究費の取り分を記入しようとしたが、矛盾したエラーメッセージが出てどうにもならない。面倒になり、ゼロにしてしまう。許せ!

研究細目というのが、難しい。

担当審査官が自分に有利な判定を下すであろう細目を選び出すべきなのだろうが、迷っても、時間が無駄に過ぎるだけなので、客観的にも妥当であると思われるところに落ち着く。ようやく日没後、基盤研究Bのエントリーが完了した。
明日から、ようやく本文である。

日本社会の生産性の低さが指摘されて久しいが、今日はまさに生産性の低い一日であった。
私のような愚かな時間を過ごす申請者が日本中にあふれかえっている様を想像すると、この秋は、日本の研究社会の生産性が一気に下降しているわけである。

こういう事は、一般人にも、マスコミの眼にも触れるはずもなく、国立大学や研究所で支払われる給料の元の税金が、下らない作業時間に対して支払われ、無駄遣いされている一例だと言っても間違いは無かろう。
来年は改善されていることを心から願う。

しかし、個人的には、画面更新の間、思わぬ勉強の時間に恵まれたので、良しとしよう。


  1. 2005/10/26(水) 09:55:36|
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MACユーザーの科研費申請:Virtual PC ver 7.02で何とかなるのか?

科研費の書式をダウンロードしてみると、やはりMacでは、表示がおかしい。学術振興会のwebでは、わざわさMac版が用意してあるのだが、それでも駄目だ。

私は物忘れが烈しく、前回の申請(2年前)のことを詳しく覚えていないが、そのときも、確か、愛用のMacではなく、分子軌道計算用に買ったWindowsパソコンを使ったのだと思う。

今回は、そのWinパソが無い。陳腐化(役所の業界用語)して処分に回したのだ。場所がないので、要らないものを置いておけない。

仕方なく、昨日、MacにVirtual PC ver7.00を導入。OfficeとAtokもインストール。これがえらく時間がかかって、本作業は今日からになった。

VPC上のwindowsの動作は我慢できないほど遅くはない。何とかなるだろう。ネット上のプリンターも設定抜きで使えることが分かった。

何とか間に合わせねばならぬ。場合によると、週末も作業しなければならない。



  1. 2005/10/25(火) 13:28:58|
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ライアン・カイザー「ドナ・リー」

ライアン・カイザー「ドナ・リー」


トランペットのライアン・カイザーは、「Jordu」を聴いて大ファンになった。
Jorduは、好きな曲で、クリフォード・ブラウンとマックス・ローチの"More study in Brown"の名演がもちろん素晴らしいが、寺嶋靖国氏の言うとおり、現代の生々しい録音で聴きたいという欲求がもっと強いのであった。

ちなみに、ライアンのJouduは、去年、吉祥寺「メグ」にて、超高級スピーカー・アヴァンギャルドで聴かせてもらいました。

大音量で聴かないともったいないので、昨日買ったけれど、週末まで我慢。
ジャケットデザインもオヤジ好みで良し。
聴いたら、感想など、書くかも知れません。



  1. 2005/10/24(月) 22:39:33|
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科研費申請・web申請

ともかく、雑用から逃れ、イデア→物質の錬金術作業に没頭したい。

しかし、逃げてばかりもいられない。

食べねばならぬ、資金がなければ仕事が出来ぬ、というわけで、逃げに逃げていた科研費申請締め切りが迫った今日、ようやく学術振興会のwebに入り、電子化された申請手順などを調べる。アクセスしたところで、昼飯。

昼休みは、睡眠不足を理由に水泳をさぼり、blogを見たり、数学をかじったりして過ごした。

案件は二つあり、「特定領域研究からの公募」と「基盤研究B」である。前者は、今朝、募集のメールが来たので、急遽決定。後者は、継続か新規か迷ったが、継続すべき課題の方は、別件にエネルギーを注いだ結果、進展が遅れているため、新規に決定。

ともかく、時間との戦いだ。予算書類を書くのは「もっと本質的なことがしたいという魂叫び」との戦いである。ノーベル賞でも取らない限り、好きなことだけをやって食っていける研究生活は難しい。


  1. 2005/10/24(月) 13:23:06|
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ギュスターブ・モロー展

20051024013004


最終日に観に行く。
渋谷BUNKAMURAは初体験。

パリのモロー美術館でも感じたが、モローの作品は当然だが、メトロポリタン美術館、ルーブル、オルセー、プーシキン美術館、等々、世界中に散逸していて、一つの展示会場ですべてが見られるわけではない。

私が気になっている、油彩の普通の表現の上に、強い線描で事物の輪郭を書き加えて行く手法のものが、いくつかあり、それらは皆名作だと思った。

唐突ですが、諸星大二郎のモロは、ギュスターブ・モローから取られたというのは、「ガセビア」ですか?

帰りに、タワー・レコードに寄って、ライアン・カイザーのものを探し、「ドナ・リー」を購入。税込みで三千円以上とは!



  1. 2005/10/24(月) 02:01:00|
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ワンナイト  イン  モンコック 旺角黒夜

中国(大陸の方)との国家関係がぎくしゃくしているけれど、中国人は、当たり前だが、台湾や香港にもいる。表現や思想の国家的制御のないと思われる香港で作られたこのような映画を観ると、中国人のバイタリティーや情の深さが圧倒的で、人間として深く共感してしまう。ともかく、映画としての完成度・緊張感が高く、俳優たちもすごく生き生きとして魅力的で、刑事役の俳優の一人が誇らしげに語っていたように「語り継がれるべき名作」になり得た作品だと思った。

崩壊前のソ連では、思想的な制約のなかで、タルコフスキーの作品のような普遍性を持った名作が作られたが、今の中国(大陸)ではどうなのだろうか。

大陸の貧しい田舎の村から、香港の夜の街モンコックに出稼ぎに来た青年、娘、そして大陸の同郷の出身者を食い物にして生きる夫婦が物語の駆動力だ。
しかし、大陸からやってきた青年の初仕事はヤクザのボスを殺すことで、娘の仕事は売春、夫婦の仕事は殺しの斡旋なのであった。
当然、刑事たちの世界が彼らと烈しく拮抗し、カタストロフへとなだれ込んで行く。

DVDで紹介されるプロモーションの様子などを見ると、若い人がこの映画を観ているようだが、私は、数十年前の日本の任侠映画のような、狭い観客層を予想していたので、意外だった。

ヒロインの女優がすごくよかった。今の日本にあんな好い女優はいない(断言!)。


  1. 2005/10/24(月) 01:21:52|
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レモニー・スニケットの「世にも不幸せな物語」

やたらに豪華な脇役が出ていたり、タイトルロール(っていうのかな)がとってもすてきだったり、それなのに、本編がどうもこうも、という、最近のハリウッド映画によくあるタイプ、と言い切って切り捨てただけでは、貴重な日曜の午後をつぶした甲斐がないので、もう少し、感想を述べて見よう。

DVDで観賞後、おまけの編集で切られた部分も子供が見たいというので、ほとんど残らず見た。すると、監督の作りたかった映画と、実際に配給された映画は別物だったのではないかと思えてきた。

本編では、お話しの骨格が見えすぎて、ほとんど肉付きが無く、ジムキャリー演ずるオラフ伯爵(だったか)にも、アメリカの子供向きテレビアニメに出てくる悪い猫ほどの人格も与えられていない。そのせいか、「作り物のなかの一点の真実味」という観客のハートをつかむものがない。

それは何かといえば、「子供だけが感じ取ることの出来る、理解不能な大人という存在の不気味さ」ではないだろうか。たとえば、楳図マンガにはそれが濃厚だ。ストーリーだけではなく、画力が無言でそれを訴えかけてくる。

カットされたシーンには、大人としてのオラフ伯爵が見えるように思えた。それらは、数分のエピソードの積み重ねなのだが、ことごとく公開されたバージョンではカットされている。ジム・キャリーが熱演すればするほど、理解不能なほどに不気味であるが、それと同時に大人同士として哀れみにも似た同情を感じてしまう。

もう一つ、NGシーンで、撮影中にサニー(末のベビー)が寝てしまうというアクシデントが紹介されていたのだが、何とも言えずかわいくて、これをそのまま活かせば、サニーももっともっと、アニメ的では無く、生き生きした赤ん坊キャラとして際立ったのではないかと思えた。姉と兄は特技(発明とブッキッシュな知識)を活かして活躍できたのに、サニーの「噛む力」は結局発揮されなかったのも残念。

さて、ジム・キャリーの芝居のテンポについて行ける子役は欧米にはいないのだろうか? 日本には最近、悪達者とも思えるような子役たちが出現してきているようであるが・・・。


  1. 2005/10/23(日) 00:34:58|
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丸山健二「生きるなんて」

20051022192112


たった今読了。特に若い日本人に、「戦争なんて」の章を読んでほしいと思った。

この本は辛口とか毒舌とか言うものとは全く関係なく、人生の先輩が、ストレートに「本当のこと」を若者に語りかけているものである。

小説家としての文体とか、ロジックとか、教養主義とかの飾りを一切廃して、何のてらいもなく、ストレートに、生きると言うことについて、俗世間の仕組みについて、語っている本書のような内容のものは、おそらく極めて希少である。

アメリカのイラク戦争の本質に関しては、若い人が注意を払ってほしいと思っていたが、この本の「戦争なんて」は、学校の副読本にしてほしいくらいである。
もっとも、著者の言うように、学校が、本音は「体制に従順な労働者の育成機関」である限り、そのような事は期待できないのかも知れないが。特に最近は、骨のある教師が現場で生き残るのは難しいだろう。

私自身には、「親なんて」が利いた。なるほどと思ってしまった。

「何ものにも依存しないで生きる」ことを説く著者の美学は、「野生動物の美しさ」を称賛する態度にあらわれている。学生の頃、山を一人歩いて、突然出会った鹿の神々しい美しさを思い出した。


  1. 2005/10/22(土) 19:52:12|
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ギュスターブ・モロー美術館

ギュスターブ・モロー美術館にて


パリに初めて行ったのは20年近く前のことだった。
「芸術新潮」で知ったギュスターブ・モロー美術館に行きたいと思ったが、その日はちょうど休館日で、飛行機の都合もあり、そのまま日本に帰った。

今年の六月、ようやく宿願を果たし、訪ねることが出来た。
出発前の成田空港で、ニコンの双眼鏡が一万円以下で売っていたので、軽量なのも気に入って購入した。

ギュスターブ・モロー美術館では、高い天井に届くような大作が多い。
そして、モローの絵は精細に描き込まれた細部が面白い。
私は双眼鏡で細部を眺め、大いに堪能した。


  1. 2005/10/22(土) 01:47:03|
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風邪の効用

昨日から風邪気味で、のどが少し敏感になっていたが、今日は頭が少し痛く、微熱も出たかも知れない。

野口整体の野口晴哉によれば、季節の変わり目に風邪をひくのは、体が季節の変化に合わせて、そのフォーメーションを微調整しているからなのであって、決して悪いことではないという。経過が大事だとも言う。うまく経過すれば、体はより丈夫になると言う。その際、冷やさないことも大事だという。日本人らしい繊細な観察によるもので、欧米人の屈強な体にこのセオリーが当てはまるのかどうか、いらぬ心配をしてしまう。

そういう意味で、経過は順調かも知れない。仕事をしながら、様子を見ている。

とはいえ、風邪はひかぬに越したことはない。最近blogにはまって、寝不足気味なのがいけないのだろう。

そういえば、スタッフの一人も熱が出たとかで、休んでいる。

今日もデータをまとめて過ごす。スタッフに新しい仕事を教える。

昼休みに丸山健二「生きるなんて」少し読む。
今の若い日本人に向けて語りかけている本だが、このような本を買って読む人はどんな若者なのだろうか。或いは、著者の意図に背いて、私のような中年ばかりが読んでいたりするのかも知れない。
とはいうものの、中年にも耳が痛いことが多いし、刺激になる。
ある時代までは、日本の若者にとって暗黙の了解であったような事柄も多いかも知れない。
敢えて著者が言葉として表現しなけれんばならないと思ったということは、それだけ今の日本人の生活感情がより管理され、家畜化されていることへの危惧感のあらわれか。

 遊んでいても家畜

それが今の日本の状況だと著者は認識しているようだ。


  1. 2005/10/21(金) 21:23:53|
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発見の意味

午前中、X社のO氏来訪。試料を渡す。郵便で万一紛失した場合を考えて、わざわざ取りに来る。私も同じ考えだったので、敢えて郵送すると言い出さなかったわけだ。

実用化が目に見えてくる。
段々スリリングな状況になってくる。
研究が社会化する段階に入り、関係する人数も増える。

研究がこのような段階になると、もはや、自分だけのものでは無い。
この発見が自分を選んだのであって、自分はこの発見に奉仕するのが使命であるという気持ちが大事なのかも知れない。

月並みだが、この発見はいわば種子であり、大きく育てるのが自分に与えられた任務であるということになってくる。一本の樹木が、子孫を増やし、林となり、森林になるまで、この目で見届けたい。書いてみて、その実感を強くする。


  1. 2005/10/21(金) 00:44:45|
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共栄堂にて楳図かずおに遭ふこと

ギュスターブ・モロー美術館にて


神田神保町の共栄堂は、先代の未だ地下に潜る前から通っていた。現在は、代が代わり、味もよりスパイシーで薬膳っぽいものに変わったが、昔の味は残っていると思う。
白っぽい不思議なスープが付いてくるのは昔通りだが、先代の頃の方が、このスープが濃厚だったような気がしている。もちろん今でもうまく、大好物だ。焼きリンゴも外食では共栄堂でしか食べたことがない。サラダも下町の洋食屋風だが、おいしい。大盛りは本当に大盛りで、私には少し苦しい。

その先代の共栄堂でカレーを食べていたら、楳図かずおが入ってきた。そのころは建物の造りも、少しがらんとして広かったような記憶があるが、自信はない。客も今ほど多くはなかったのではないだろうか。私は未だ学生で、物怖じしなかったので、持っていた岩波新書にサインを頼んだら、あのにこにこ顔で応じてくれた。ちなみに、先代の主人もやせ形でにこにこしており、今考えると楳図かずおに似ていたように記憶している。親戚というわけでは無いだろうが。

そのサイン入り岩波新書は自宅に置いておいて、私は下宿に移った。ある日、掃除ついでに文庫本の類は全部捨てたと親に聞かされた。今思えば大変残念なことをしたものである。

写真は、今年6月、パリの日曜の朝、ギュスターブ・モロー美術館にて撮影(ノーフラッシュなので勘弁されると思われます)。


  1. 2005/10/21(金) 00:18:21|
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古東哲明・丸山健二・ニーチェ

パリ・オペラ座ガルニエ-1


古東哲明「現代思想としてのギリシャ哲学」ちくま学芸文庫。
丸山健二「生きるなんて」朝日新聞社。
ニーチェ全集II「善悪の彼岸 道徳の系譜」ちくま学芸文庫。
以上三冊、友朋堂で購入。
丸山健二「生きるなんて」は、有田芳生氏のHPで紹介されていて、読みたくなって。
古東哲明氏は、「ハイデガー=存在神秘の哲学」講談社現代新書を読んで、もっと読んで見たくなり、探していたもの。

午後、N大N先生の訪問を受ける。実験室を案内し、パワーポイントで研究内容を紹介した。雑談数時間。研究社会の流行追随傾向を憂える。
流行のトピックスは、研究者も多く、論文を書けば、引用回数も稼げるだろう。しかし、10年20年後には膨大な研究例のなかに埋もれてしまう可能性も高い。
たとえ孤立無援に感じられても、自分だけの研究に固執する方が結局は幸せなのではないか。等々。

予算申請書一枚書く。明日提出予定。用はなかったが、久しぶりにS氏に電話。11月に飲む話。われわれのフェイバリット・バー「倉吉」には必ず行く決意を確認。

夜、今週初めてジムでトレーニング。サイクルマシーン、ベンチプレスマシーン、腹筋、名前が分からないが、三角筋に利くものなど。明日は水泳したい。

数学の勉強は出来ず。

写真は、パリ・オペラ座-ガルニエ(今年6月)。


  1. 2005/10/20(木) 00:07:00|
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論文着手

サンクトペテルスブルクの運河


蛮勇をふるって、というか、見て見ぬふりをして、というか、さりげなく、というべきか。ともかく、身構えるいとまもないくらいにいきなり論文を書き始めた。そうでもしないと書く切っ掛けがつかめない。明日も書く。科研費申請の締め切りが迫ってくるが、その前に形をつけておこう。

夜中に雨が止んだ。と思っていたら、また降り始める。

blogにカウンターをつけたり、ファイルを入れたり、作業に手間がかかるが、ようやく、一段落ついたので、明日からは、当たり前のように、日記をつけたり、写真を載せたり出来るだろう。

写真は、珍しく晴れ上がったサンクトペテルスブルク。
今年の5月である。
この町には雨が似合うのだが。




  1. 2005/10/19(水) 00:36:06|
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楳図かずお「洗礼」

20051016230309
読み始めは抵抗するのだが、クモの巣に捕えられた蝶のように、いつしか、その毒に身を委ねることに…。



  1. 2005/10/18(火) 00:38:58|
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サンクト・ペテルスブルクの吸血女

サンクト・ペテルスブルグの吸血女
サンクトペテルスブルグは雨が似合うretro-futureな街だった。
女たちはスタイリッシュで、夜には男たちの血を吸いに街に出るのだった。
私もドストエフスキーの「孤独な夢想家」のように、街をさまよい、運河の水に見入った。


  1. 2005/10/18(火) 00:31:00|
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雨・雨・雨

素晴らしい雨の力だ。

一日中まるで冬のさなかの様に暗いのはなんと言うことだろう。

深夜だというのに、雨音が素晴らしい。私は雨の音を聞くのが好きなようだ。

今日も、生活に追われて一日が終わってしまった。
数学は「Banachの不動点定理」を学んだのみ。二頁程か。
もはや無罪放免と思われていた財団研究資金報告書の催促が来て、今日はそれを書いて終わった。こういうのは仕事をしたとは言わない。
論文をかくべき材料が整っていて、すぐにでも、着手しなければならない。
明日はがんばろう。
給料と成果(点数制)が直結している現在、悠長なことを言っている身分ではないのだ。

自分はほとんど孤独だ。しかし、完全に孤独ではない。

昨日、今日と、車に乗った攻撃的な男・女に威嚇される。
正確には、昨日が女で、今日は男だった。
駐車場で無意味に威張る人は、楳図かずおを読むべきだ。
自分が他者に与える恐怖について、想像力を持てと言いたいのである。
模範的な主婦、家庭的な夫だと自分では思っていても、他者に思わぬグロテスクな相貌を曝している可能性がある。

特に日本人は、身内や知人には親切で優しいが、赤の他人に対して、無愛想で、基本的に不親切である。一昔前にアメリカで暮らしていたとき、彼らの公衆マナーの方が今の日本人などよりもずっと上だと感じたことがあった。

「洗礼」は、思わぬ展開に動揺してしまいました。正直に言うと、感動してしまいました。


  1. 2005/10/17(月) 23:57:13|
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Brilliant Classicsでショパンを聴く

Brilliant Classicsというオランダ(?)のCDレーベルがあり、廉価でしかも内容が良い。
紙製のジャケットの一枚一枚には、作曲家の肖像だけではなく、その音楽の雰囲気に似合う泰西名画(!)が選んであって、このレーベルの社長は本当にヨーロッパのクラシック音楽を心から愛している人なんだろうと思ってしまう。
Chopin "The piano works" (ショパンピアノ曲集)というものの場合、13枚で、紙ジャケット・紙製の箱に入ったものが、5000円前後だったと思う。ショパンをこれだけまとめて聴いてみると、知らなかった素晴らしい曲に出会える。
新しい生々しい録音で、現代のヨーロッパの中堅ピアニスト(だと思う)の情熱のこもった演奏を聴けるのはしあわせなことである。

ノクターンは2枚に別れていて、その内の一枚は、フォルテピアノのような、ゴージャスな独特の響きだ(解説書を読まないとわからないが)。
オーディオというのは、ある程度音量がないと良い音響空間が出現しないので、実は家ではなく、車の中でほとんど聴いている。最近は、カーオーディオもばかにできない音質があり、特に夜は良い。いつも思うのだが、なぜ、車の中で聴く音楽は、日が沈むと急に良くなるのだろうか。

昼の間、偶然、テレビの放送大学で、古代ギリシャの音楽の再現を聴くことができたが、ギリシャ時代の音楽にも、どこかしら、中世ヨーロッパ音楽のような響きはあった。しかし、もちろん、ショパンの響きも、セロニアス・モンクの響きも、そこに聴くことはできない。音楽の進展をたどるだけでも、人間の文化の継続の意味・そして自分がこの現代に生まれてきた意味があったと思わざるを得ない。


  1. 2005/10/16(日) 22:20:10|
  2. クラシック・ジャズ・音楽|
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手打ちうどんに挑戦―その2

20051015235711
子供がこね、かなり満足。太くて茹で加減がイマイチ。コシが強すぎた。次回はもっと細く切ってみよう。



  1. 2005/10/16(日) 00:16:41|
  2. 料理・食事|
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田中慎弥「冷たい水の羊」ー第37回新潮賞受賞作

有田芳生氏のHPhttp://www.web-arita.com/を見ていて、大江健三郎の新作と大江氏のインタビュー(新潮11月号)が読みたくなり、有朋堂で購入。しかし、新潮のインタビューは新作の内容に触れているだろうから、読むのを保留。

大阪帰りの新幹線のなかで、代わりに、第37回新潮新人賞受賞作「冷たい水の羊」田中慎弥を読み始めた。純文学という言葉はもう使われないのかも知れないが、劈頭から純文学の香りがして、大いに堪能した。一昔前、田中康夫(長野県知事)が芥川賞を受賞した頃から現代の日本の純文学に興味が薄れたが、この作を読んで、著者を応援したい気持ちになる。

端的には、いじめに遭う孤独な高校生の世界が、彫刻的な文体で描かれる。
やはり文学は、疎外された(死語か?)人間がいる限り題材に事欠かない。


  1. 2005/10/15(土) 23:38:52|
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