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さあ、恥ずかしがらずにこっちへおいでと「時間」が呼ぶ

永井均「なぜ意識は実在しないのか」を読んだ(まだ2回目の読書の途中)ことがきっかけで、ふとした弾みに、自己意識について考える。自己意識の時間的な広がりについて。自分の中で、絶えず時間は進んでいて、自己意識自体が時間という枠組みの中でしか経験することが出来ない。自己意識から時間という座標を外すことは不可能で、自己と時間はあたかも一体化しているかのようである。強引な外科手術によって自己から時間を引き離したとたん、自己は一個の物体と化す(というよりも消滅する)だろう。アインシュタイン以来、時間は空間と切り離して論じても意味がないことが明らかになっている。ならば、時間的にしか経験(存在)できない自己意識というものが存在する「空間」がなければならない。それは物理学からのアナロジーに過ぎない? いや、そうではなくて、この辺にきっと、突破口がある。物理学と霊学(適当な言葉がないので)は、対立するのではなくて、おそらく双対性を持つのだ。物理的(時間、空間、物質、エネルギー)の構造化した(本来一者としての?)世界を人間のアタマで理解できるように解いたものが相対論であるとして、非物理的な(時間、空間、自己、エネルギー)の実在が、見いだされなければならないのではないか。それは既に古の知恵が明らかにしているのことなのか?

と素朴に考えた。ブログというものは、どういう人が来て読んでいるのかわからないところがこわい。つまり、この問題をまともに考えられるように、意識して勉強を始めたぞ!と、ひとりでシュプレヒコールしているのだ。春を待ちながら。

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  1. 2008/02/02(土) 11:37:54|
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