毎年思うことだが、秋は素晴らしい。
少なくとも関東地方では、何か特別な季節で、日本がヨーロッパに引っ越ししたような気分。こういう季節に、旅行したり、山に登ったり出来る人はしあわせだ。昨晩、きれいな月を見ながら、山に行きたいと思った。今のうちに身体をそこそこ鍛えておいて、後何年かして、もう少し自由になったら、学生時代のように、テントを担いで、山を歩こうと思った。それから、テナーサックスを習うこと。これが私の二大願望。ささやかながら、こういうことがなかなか実現出来ない。
今は、本当は忙しい季節で、昔なら休みも返上して職場ではたらいていただろうが、最近は、そう言う働き方は止めてしまった。原稿の締め切りは、三週間延ばしてもらった。編集担当者の手の内はわかっているので、こういうことも可能だ。もう一つの締め切りは、実験に関することで、こちらは相手側のスケジュールを狂わす可能性があって、社会人的には、まずい。しかし、もう二・三日待ってもらおう。科研費(文科省の研究予算)の締め切りも近い。こちらは、職場の締め切りが早めなので、やはり少しの遅れは何とかなるだろう。
ブログで褒めている人がいたので、「V for vandetta」をDVDで見た。
11月5日というのが、作中で、特別な日なのだが、どうせなら、11月9日にした方が良かったのでは無かろうか。「ニューヨーク同時多発テロ」が起きて直後に、既に
田中宇氏のHPでは、米国政府の陰謀説が説かれていて、その後の動きを見ていても、私のような政治素人にも何かおかしなものがあるのは確かだと思われた。「V・・」は、この「同時多発テロ政府陰謀説」を絵解きしたような映画だが、今更これを観て興奮するようなナイーブさが私には欠けているようだった。ここ数年、最近のハリウッド映画を観て、興ざめな思いをすることが多い。これもその例に漏れず、21世紀ハリウッド的形式主義・約束事の世界。何でこんなにつまらないのだろう。作っている人たちも、山崎パンの工場でパンを焼いているような感じで「映画、一丁上がりー」てなものかな。映画のシステムが完成した途端に映画は腐り始めるのか。私には、頭に「ずら」を乗せた哀川翔の方が好感が持てるよ。
この映画で感覚的に嫌だったのは、絵空事のヒーローが、CGリアルな(と私には思える)流血シーンを演じてみせることだった。ちなみに、椿三十郎(黒澤明)の最後の決闘シーンの大出血には必然性も説得力もあったけれど。